加藤周一、「しかし、それだけではない」

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

  加藤周一ドキュメンタリー映画、「しかし、それだけではない:http://www.ghibli.jp/kato/」の札幌上映会が、満員の大盛況で開催されました。

上映チラシより

上映チラシより

  2008年12月にこの世を去った知識人・加藤周一が出演し、監督・鎌倉英也、プロデューサー・桜井均が試みたのは、「決して意見が変わることのない」幽霊たちとの対話でした。武家社会の中、26歳で命を絶たれた源実朝、戦時下自由な言論が失われた状態でも意見を曲げることのなかった神田盾夫、渡辺一夫といった恩師の先生、そして、敗戦直前に学徒出陣で戦地に向かい若い命を落とした友。彼らと語り合う加藤周一の言葉が、映画を観たものへ強い問題提起です。そして気がついてみると、映画を観ている私たちが加藤周一という「幽霊」と向き合うことになっているのです。

 終盤に、「一人の意識が世界を変える力を持つ、そのことは間違いの無いことだよ」と静かに語る場面が、今を生きる私たちに強いインパクトを与えてくれます。彼自身の体験に基づく、「文楽」、「夢幻能」への言及、そして「反戦」への一貫した強い意志、「自由・自立した個人」等、言葉の端から、しばしの沈黙の間から、鋭い眼光の表情から発せられるメッセージは、心の深い所に届きます。ラストの曲、「死んだ男の残したものは:http://www.youtube.com/watch?v=kLThp2qMgDQ&feature=related」は染み入ります、作曲・武満徹、作詞・谷川俊太郎です。

 

 会場に向かう道すがら、円山公園のサクラもやっと咲きました。

札幌円山公園では(1)

札幌円山公園では(1)

札幌円山公園では(2)

札幌円山公園では(2)

 まだまだ気温は低いのですが、恒例となった(?)ジンギスカン他、多くの市民が繰り出し始めようとしていました。ビニールシートで場所取りをする光景は、毎年の風物詩となりましたね。それにしても、焼き肉のもうもうたる煙と臭いには、地域住民としては閉口ですが・・・・。

街に出れば、懐かしい人との出会い

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

  札幌のまちは190万都市と言えども、中心部の繁華街を日中20分程も歩くと、必ず知った人に会うから面白いです。この数ヵ月間、駅の構内、地下鉄駅の通路他で、懐かしい人たちと「劇的に」お会いしました。

4月初めにJR札幌駅を地下鉄から北口方面に向かって歩いていると、昔の会社のMさんと思われる人が軽い足取りでやってくるではありませんか。思わず声を掛けるとあちらも「お久しぶりです」と、変わらぬ「笑顔」でご挨拶。「あと数ヵ月で定年となり、稚内勤務から札幌に戻り、暫く本社に居る事になりました」と。初めて会ったのはもう30年以上前になりますか、それ以来いつも若くて溌剌とした雰囲気の彼も定年というのは、俄かには信じられないのですが、時の流れは確かなのでしょう。素晴らしい笑顔のお陰で、一日中私は力を頂きました。彼の札幌での充実した生活を祈念しています。

それから間もなく、今度は朝の地下鉄円山公園駅の通路でした。公立高校の入学式の日で、お子さんと親と思われる姿が何組も通り過ぎて行きました。と向こうから来る若く見える男性、あちらも私を見ていたその時、「S・N」と思わずフルネームで呼びとめたのです。ほぼ同時に「しばらくです」と元気な声が返ってきました。今、会社で首都圏の営業部の幹部となって活躍している事、今年から娘さんが市立旭ヶ丘高校に入学した事を短い会話のやり取りで知りました。日に焼けて元気あふれる顔つきに、随分大人になったなと思うと同時に、これからも期待したい気持が湧いてきましたよ。

更に、かでる2・7でフォーラムがありその帰り道、大通公園を横切って歩いていると、後の方から男性の声で「秋山社長ではありませんか」と。振りむくと一瞬名前は出てこなかったけれども懐かしい笑顔の顔、そして隣には会社の同期の女性も。「今どこにいるの」と聞くと、「保険会社にいます」との返事でした。すぐに名前も思い出し、入社年月日を聞くと100周年後でしたから私が社長の時です。背の高い爽やかな彼は、当時入社1年後に新入社員への歓迎の辞か何かを述べた事で記憶に残っていました。10分以上も路上で話をしていましたかね、連絡先を聞いて別れましたが、その日も何かとても自分自身元気が出ていました。

先週の土曜日夜に、(株)スズケンhttp://www.suzuken.co.jp/出身者の会「ケンユー会」愛生舘支部の総会・懇親会が例年通り開催されました。1998年に(株)スズケンと(株)秋山愛生舘が合併した後、当時秋山愛生舘の出身者の会だった「愛進会」もスズケンの出身者の会「ケンユー会」と合併したのです。会社の合併は今では良くある話になりましたが、出身者の会(OB・OG会)も合併というのは大変珍しい事だと思いますね。多くの場合は、出身者というのは合併等には批判的、或いは現在の経営幹部をはじめとする現役に対しても否定的です。毎年ではありますが、先日は特に参加者も多く、現在の会社の状況・新しい取り組み・今後の展望等も本社の現役副社長から説明があり、出席した皆さんは大変興味を持って聴いていました。

10周年記念で作成した支部旗

10周年記念で作成した支部旗

昭和20・30年代に会社で仕事をした方々は、「自分にとって、会社で学んだ事が人生のすべてだった」とおっしゃっていました。古き良き時代と言ってしまえばそれでお仕舞いですが、お花見、海水浴、年末もちつき、新巻しゃけの12月ボーナス、会社が大家族のようで懐かしい時代でした。
50歳を越えてくると、体力的には確かに衰えを感じはしますが、思い出の分母は大きく拡がっているので、人との再会をはじめ沢山の体験に基づく多様なストーリーによって、繰り返し繰り返し自分自身で楽しめるみたいな、そんな充実した気分になるのが不思議です。特に人との思い出では、相手の成長と変化(決して老化とは言いません)も楽しめて一層物語に深みが増しますね。
先日の出身者の会では、「眉毛から額のあたりがお父さんそっくりになってきたわね」とか、悪ガキで倉庫・事務所で遊びまわった私を家族のように評した女性もいらっしゃいました。皆さん、会社を離れてもうかなりの年数が経ているにもかかわらず、懐かしい思い出・貴重な経験として心に残っている素晴らしさ、今会社で働く人々も是非将来そんな感動を持って頂きたいと祈るばかりです。
10周年を記念して撮影した集合写真の出来上がりが楽しみです。

温泉、札幌のみずがめ:豊平峡の春

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

定山湖(ダム上流)

定山湖(ダム上流)

 

豊平川源流(ダム下流)

豊平川源流(ダム下流)  

もう40年以上前になりますが、高校入学して間もなく、クラスの新しい友人2名と、豊平峡ダム完成前の渓谷をハイキングに行きました。画面左上のトンネルの見える細い川沿いの道を歩いたような気がします。途中、山道横に出てきた「青大将」を友人の一人が見つけて、手際よく遠くに投げた光景を、何故か今でも覚えています。豊平峡温泉から電気バス乗り場まで、上り道で徒歩約45分かかりますが、途中の白樺他草花が本当に美しかったですね。

神宮参道のさくら

神宮参道のさくら

一方、北海道神宮のさくらは今が満開です。円山公園方面は、焼き肉のニオイでいっぱい。途中の梅林付近はカラオケが騒音でした。昔は紅白の幕を木と木の間に張ったりして・・・。今はブルーの場所取りシートと、時の流れとともに色・形も変遷しますね。もう一つ、私の幼い頃の食べ物は、重箱にお稲荷さんとおにぎり、飲み物はオレンジジュースと大人は一升瓶の日本酒だったような気がします。

新渡戸・南原賞の再出発にあたって

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 5

 昨年末に、講演で札幌にいらっしゃっていた順天堂大学の先生から、新渡戸・南原賞のお話を伺いました。5年間、新渡戸稲造、南原繁のお二人の偉大な教育者の軌跡を記念して、授賞事業を継続していたそうです。財政的事情から、今後の事業継続に懸念が出てきて、受け皿を模索中とのお話でした。

 一方秋山財団では、この間の努力により新たな財源が生み出されて、新規事業の検討を行っていました。テーマ性のある事業への支援、将来の新しい担い手を育成する事業等への応援を軸に構想を練っていた時だったので、この新渡戸・南原賞の件を伺って、トントン拍子に事が進み、来年度から秋山財団での事業とする事に致しました。

 私は、何か事を始める時に、「原点」を大切にしたいといつも思うのです。新渡戸稲造、南原繁という人物はどこに生まれ、どういった時代、どんな人生を生きた方なのか、まずお二人が眠る東京の多摩霊園に墓参に参りました。6月8日、この事業の代表者東京大学名誉教授の方、他2名とご一緒に、新渡戸稲造、内村鑑三、南原繁、矢内原忠雄の各墓前にお花を捧げ、各先生のご功績等を話合いながら、約2時間を掛けて回りました。途中、日本海軍の英雄、東郷平八郎、山本五十六の墓前にもお参り致しました。私の父、秋山宏(旧姓野田宏)は海軍兵学校66期卒で、キスカ撤退作戦、レイテ沖海戦で旗艦の通信長を務めましたが、2年前に90歳で亡くなりました。

 8月末に、その父の故郷青森県八戸市で「いとこの会」が開催されました。20名程の親戚が一堂に会し、在りし日の先祖をそれぞれに語り、絆を再認識しました。翌日に妻と二人で、盛岡市の先人記念館に紹介されている新渡戸稲造の資料、花巻市の新渡戸稲造記念館を訪問して、あらためて新渡戸稲造の多彩な功績の数々に圧倒されました。

 そして、先日10月23日、四国香川県東かがわ市三本松の南原繁の生誕地を訪問することが出来ました。今も現存する県立三本松高校の同窓会100周年会館内の記念展示を拝見して、今もなお地元でしっかり受け継いでいる南原繁の精神を目の当たりにして、その偉大さとそれを継承している帝國製薬社主の方をはじめとする地元の方々の活動に、強く感動しました。大坂峠からみる景観は、南原繁がしばしば思い出したふるさとの原点となっているとの事でした。

 私もこれまで数多くの国・都市を訪問しましたが、結局自分の心の中にある原風景は、ふるさと札幌の藻岩山であり、豊平川の水の流れであり、円山公園の空に向かう木々でした。

 どんな時代においても、変わらぬ立ち位置、ポジショニングは、すなわち変わらないミッション(使命)を意味している訳で、今年の故郷巡礼の旅は大変貴重なひとときとなりました。