富良野塾、「谷は眠っていた」

Posted by 秋山孝二
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 昨年は2月に、富良野塾の公演「屋根」に行きました。今年は「伝説の舞台、最後の公演!」と宣伝されている「谷は眠っていた」を見て参りました。http://www.furanogroup.jp/

車内の広告

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 折からの風雪で高速道路が閉鎖され、昨年利用したバス「高速ふらの号」は運休で、急きょJRにより滝川乗換えで富良野に到着しました。滝川から富良野までの列車は一両、乗客は通学の高校生、比較的年配の方々と、地域の貴重な足として活躍していました。

JR富良野駅で

JR富良野駅で

 「富良野GROUP ロングラン公演 2010冬:谷は眠っていた~富良野塾の記録~」で、作・演出の倉本聰さんは26年間の富良野塾活動を振り返っています。「この春、富良野塾は26年間の幕を閉じますが・・・」で始まるこのメッセージに、倉本さんはじめ歴代の塾生の方々の並々ならぬ努力と精進の軌跡を感じます。

富良野演劇工場入口で
富良野演劇工場入口で

 実際、約2時間の公演では、鍛え上げた肉体の織りなす数々の場面は興奮の連続でした。歌詞を変えての中島みゆきの「ファイト:http://www.youtube.com/watch?v=zAVAwvKpokw」、さだまさしの「風に立つライオン:http://www.youtube.com/watch?v=TTYZn1EVWl0」も、彼らの思いとぴったりで力強かったですね。若い役者たちの躍動感あふれる舞台から、沢山のエネルギーを貰いました、感謝です。

富良野塾に思う

Posted by 秋山孝二
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 14日に富良野演劇工場での富良野グループ公演「屋根」http://www.furanogroup.jp/furanojyuku/index.html の千秋楽、昼・夜2回の公演を観てきました。17・18日には札幌公演も予定されていますね。富良野塾からはこれまでに300名を越える若い有能な役者・脚本家が育っています。勿論、芝居自身の面白さもありますが、私は倉本 聰さんの一番の功績は、今日までの人創りへの情熱だと思います。

「屋根」は、戦前・戦中・戦後の歴史を物凄いスピードで駆け抜けていく一つの家族の物語。濃密に時代時代が凝縮されていて、舞台とはいえ映像の世界でもありました。「川の流れのように・・・・」、「誰を恨むのでもなく・・・・」、「“屋根”が満天の星たちに語った物語・・・」、「熊を追い出しての自分たち人間の生活・・・」、「果たしてこの豊かさはいつまで続くのか?」、沢山のキーワードが、終演後も頭の中を駈け巡ります。そして、時代を越えた“本当の幸せ”とは?、のメッセージが分かりやすく伝わると同時に、場面場面の暗転は流した涙を拭くための気配りと、終わってから気がつきました。

今回やっと富良野の現地、富良野演劇工場に足を運ぶ事が出来ました。札幌駅バスターミナルから富良野駅前まで2時間50分、三日月食堂で懐かしいラーメンを食べて、富良野駅前から演劇工場までマイクロバスで10分、振りかえってみると札幌駅のバスに乗る所から、何か今回の芝居が始まっていたような気がします。富良野に近づくにつれて山並もそびえ立ち、駅前からは北の峯のスキー場も白い帯状に見えました。もう20年以上前でしたか、本州からのお客さんと一緒に滑りに来たのは。ダイナミックな素晴らしいスキー場だと感嘆していました。

会場入り口で防寒具に身を包み車の誘導をしている方が、どうも私の知っている方に似ていました。昼の部終演後には、その方がロビーで観客のお見送りをされていました。近寄ってお話をすると、何と今回の1か月公演の実行委員長をされているとか。実行委員長が率先して寒空の中車の誘導、地元の沢山の方々の協力・支援も受けての公演に、一層観劇、いや感激しました。

近年は、夏の観光客の方が多いそうですね。5年前に、私の東北の親戚たちとの「いとこの会」で、富良野のラベンダー園、美瑛のパッチワークの丘等を見て回りました。ラベンダーの畑は色も香りも写真以上でしたね。ラベンダーソフトアイスクリームも忘れられないし、経営者の富田さんは随分前からラベンダーの研究をされていた事も知りました。

昨日の早朝、ホテルから駅までのタクシー運転手が、「倉本さんの後が心配です」と言っていましたが、私は「沢山の若い方々が育ってきているではありませんか。むしろこれからが楽しみですよ」とお話をして、車を降りました。

1984年に設立した富良野塾は、富良野GROUPという創作のプロ集団として活動してきましたが、2010年の25期生卒塾をもって閉塾するそうです。この間の育成された数々の人材は、今羽ばたいていてこれからも活躍してくれるに違いありません。ホテルの窓から丘にある演劇工場の建物を見ながら、「担い手を育てる」価値を再認識し、私の夢は膨らみました。