「タオ財団」、最後の理事会・評議員会

Posted by 秋山孝二
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 (財)タオ世界文化発展研究所(http://wagnernandor.com/indexj.htm)は、私も常務理事を務めていますが、先日栃木県から「公益財団法人」への移行認定を受けて、今年4月1日から名称も変更し、「公益財団法人ワグナー・ナンドール記念財団」として、新たな展開が始まります。

 先日は、現財団として最後の理事会・評議員会が益子で開催されました。一昨年、東京都中野区・哲学堂公園に「哲学の庭」が設置となり(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2792)、昨年12月の「一周年記念フォーラム:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6768」、そして公益移行認定と、このところ大きな進化を遂げています。新しいDVD作品2枚、「妻が語るワグナー・ナンドールとその世界」、「違いを越えて世界を結ぶ~哲学の庭」も完成して、ますます活動も充実するでしょう。ご希望の方には販売もしていますので、益子の事務局にお問い合わせ下さい。

新しい紹介DVD作品2枚

新しい紹介DVD作品2枚、素晴らしい内容です!

 折からこの時期、地元益子町でも「雛めぐり・ストリートライヴ」が数か所で開催されて、3月の柔らかい日差しの中、マチも賑わって(?)いました。

益子町ではいくつかの場で「ストリートライブ」!

益子町ではいくつかの場で「ストリートライブ」!

 さらにJR東日本の東北新幹線では、この日から最高時速300kmの「はやぶさ:http://www.jreast.co.jp/e5/main.html」が走り始めたようです、1日2本ですから、目にすることは難しいですね。

JR東日本の新幹線駅では「はやぶさ」でもちきり

JR東日本の新幹線駅では「はやぶさ」でもちきり

 それぞれのプロジェクトが、それぞれの場所から新たなスタートを切っています。

「母子像・ふるさと」、札幌へ!

Posted by 秋山孝二
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 ハンガリーの彫刻家ワグナー・ナンドールの作品(http://wagnernandor.com/indexj.htm)「母子像・ふるさと」を、妻のちよさんが札幌に寄贈する意向を受けて、この間募金活動も行っていた庁立高女・札幌北高同窓会を中心とする「札幌に迎える会」により、フォーラムが開催されました。私も親族(甥)として、同窓会メンバーではありませんが、「迎える会」の一員として応援しています。

ワグナー・ナンドール作 「母子像」

ワグナー・ナンドール作 「母子像・ふるさと」

  「ワグナー・ナンドールの世界~母子像に込めた平和への祈り~」と題して、120人を越える参加者で大盛況でした。この日の為に来日したハンガリーからのご来賓、キッシュ・シャンドールさんのご挨拶、ナンドールの一生を紹介したDVD、札幌芸術の森・吉崎副館長の作品紹介、札幌市・生島副市長と和久奈ちよさんとの対談、そしてフロアーとの質疑応答と、盛りだくさんの内容でした。

ハンガリーからの来賓:キッシュ・シャンドールさん

ハンガリーからの来賓:キッシュ・シャンドールさん

  キッシュさんは、自らの体験として1956年のハンガリー動乱(革命)の模様を臨場感あふれて語りました。「丁度、一か月前は1956年ハンガリー動乱(革命)の記念日でした。その特別な日を、ハンガリー人は皆よく覚えています。1956年の秋の12日間は、ハンガリー人にとって忘れられない日々です、突然自由が訪れました。ワグナー・ナンドールは34歳、私は14歳でした。皆が同じ気持を味わったのです。自由がある!急に青い空がある!空気がある!信じられない気持でした」。

 そして、ナンドールはその時に、若い芸術家たちに声高く呼びかけました。「武器を手にするな!スケッチブックを持って街に出て、現実のあらゆることを描くのだ!」と。第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で、過酷な戦闘の経験を持つゆえに、「武器を取ることは容易だが、置くことは極めて難しい」と、常々芸術家たちに語っていたそうです。当時の政権から芸術家集団のリーダー、危険人物として狙われて、彼は後にスウェーデンに亡命したのです。

和久奈ちよ、生島さんとの対談

和久奈ちよ、生島さんとの対談

 ちよさんからは、率直なお話がありました。

* ナンドールが、「武士道」はじめ、東洋の哲学に小さい頃から接していて、その「調和」、「自然との一体」等の概念に共鳴していた、老子の思想もその一つ

* 「母子像・ふるさと」には、母と子どもの「愛」を、「受ける愛」、「与える愛」として、球形で的確に表現している

* 戦争はもちろんあってはならない、ただ、戦争が無いからといって「平和」であるとは限らない。「心の平安」、「確かな愛」、それが「母子像・ふるさと」に込められたメッセージである 

 来年にも設置されるだろう「母子像・ふるさと」は、私たちに「原点」を示す説得力をもたらすでしょう。「芸術家は社会に貢献してはじめて芸術家たり得る、なぜなら作品は何百年・何千年生き続けるのだから・・・」、ワグナー・ナンドールの信念でした。

 ワグナー・ナンドールの作品にご興味のある方は、是非栃木県益子町までお運びください。http://www.mashiko-kankou.org/509_733_topics_details.shtmlhttp://kankou.4-seasons.jp/asobu/509.shtml

栃木県益子では・・・

Posted by 秋山孝二
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 私が常務理事を務めるタオ財団(http://wagnernandor.com/indexj.htm)の定例理事会・評議員会が、ギャラリーのある栃木県益子町で開催されました。この欄でも何回かご紹介したワグナー・ナンドール(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=67)の作品を保全・公開を主活動とした財団です。今、「公益財団法人」格取得に向けて準備を進めています。

共販センター横の小道を上っていくと玄関です

共販センター横の小道を上っていくと玄関です

 

庭に展示される作品の数々

庭に展示される作品の数々

  益子焼の共販センター(http://www.mashikoyakikyouhan.jp/)入口です。

タヌキです

特大のタヌキ

 一方JR宇都宮駅前には「餃子像」他の石像も設置されています。

ガマと餃子像

ガマと餃子像

「哲学の庭」彫刻群、除幕式

Posted by 秋山孝二
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  「日本・ハンガリー外交関係開設140周年・国交回復50周年記念」として、ワグナー・ナンドール作彫刻群「哲学の庭」が、ハンガリー国から東京都中野区に寄贈されましたhttp://wagnernandor.com/indexj.htm。彼については、月刊誌「世界」最新号、寺島実郎さんの連載・「能力のレッスン:http://www.nissoken.jp/hatugen/kiji20091201.html」にも記載されています。

 4日、真っ青な空の下、中野区哲学堂公園で除幕式典と祝賀パーティーが開催されました。ワグナー・ナンドールのアトリエ・作品管理のタオ財団の理事も務めている関係で、私は出席しました。これまで関わられた関係者の皆さんのご努力に、心から感謝致します。

 テープカットは在日ハンガリー大使館ボジック・ベーラ参事官・副大使、海部外務省東欧課長、田中中野区長、和久奈ちよ・タオ財団理事長他により行われました。広い空間に世界平和を願う11の彫刻作品群が3つの輪を創り、独特の空間を醸し出していました。

テープカット

テープカット

  式典で語られた幾つかのお話で、特に印象的だったのはハンガリー国を代表してのボジック参事官のご挨拶でした。ワグナー・ナンドールの生涯は、ハンガリー国の民主化の歴史、そして日本とハンガリーとの友好の歴史でもあると、力あるメッセージでした。

 またちよ理事長からは、ナンドールの作品が天皇即位20周年の記念すべき年に、この日本の首都・東京に設置されたことに感慨もひとしおである旨が語られ、しばし言葉に詰まる程感激の様子でした。

ハンガリー国代表のご挨拶

ハンガリー国代表のご挨拶

大統領からの親書も披露されて

大統領からの親書も披露されて

  中野サンプラザに場所を移しての祝賀会では、ハンガリー大統領の親書も披露されて、この両国間の記念すべき年の彫刻群の設置に花を添えました。東京藝術大学・宮田学長他アカデミックセクターの重鎮、地元中野区のご来賓等、沢山の方々のご出席で盛大な祝賀の宴となりました。

 この席でボジック参事官は、ハンガリー・ブダペストのゲレルトの丘に2001年設置された「哲学の庭」と、今回2009年中野区哲学堂公園に設置された「哲学の庭」との違いについて、一つの視座を示されました。ブダペストの彫刻群は丘の上から無限の空に向かう祈りを示し、日本のこれらは梅林・さくらの木々の中で調和を意味する、彫刻家であり同時に思想家であったワグナー・ナンドールのメッセージを両国民は受け止める場を得て、更に世界に向かっての使命を確認する機会を得たと、そんな内容であったかと思います。

 いずれにせよ、日本よりも思想・メッセージ性の強い芸術作品から、私は固有の重い・価値ある「歴史」を感じました。今回の設置により、ブダペスト・益子・東京の三極からワグナー・ナンドールの哲学を通して、これら彫刻群は世界平和の実現に向けたメッセージを発信し続けることでしょう。

 素晴らしい式典・祝賀会でした!!!

 そして、今日から一般公開でした。

3つの輪

3つの輪

一つの命と地球をみつめて

一つの命と地球をみつめて

正面奥は聖徳太子像

正面奥は聖徳太子像

別の入口から望む
別の入口から望む

 区民と思われる見学者が、彫刻群と写真を撮る姿があちこちで見うけられました。平和な光景でした。

ナンドール展、さくら市ミュージアムで

Posted by 秋山孝二
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  ワグナー・ナンドール展が、栃木県さくら市ミュージアムhttp://www.city.tochigi-sakura.lg.jp/sakuracitymuseum.htmlで開催されています。栃木県益子町にあるワグナー・ナンドール・アートギャラリーhttp://wagnernandor.com/indexj.htmでは恒例の秋季展示会も同時に開催中です。

エントランス

さくら市ミュージアム・エントランス

 宇都宮からJRで15分、氏家駅近くの勝山公園内で素晴らしい環境の中、彫刻・水彩画・テラコッタ等の展示が豊富にされています。簡潔にまとめたナンドールの生涯は、大変分かりやすく理解できます。訪問者名簿にも沢山の方々が記名されていました。もともと地元出身の日本画家・荒井寛方(あらいかんぽう)氏のメモリアルミュージアムですので、地元の歴史と一緒に、今回日本に帰化して栃木県に骨を埋めたワグナー・ナンドールの展示会は、新しい価値を双方に創造した気がします。
 芸術家として学び、戦ったハンガリー・ブダペストの丘にも、彼の作品「哲学の庭」作品群が近年設置されて、その価値の再評価が進んでいます。

ハンガリー・ブダペストで

ハンガリー・ブダペストで

  今年12月には、ハンガリーと日本の友好50周年を記念して、東京都中野区の哲学堂公園http://www.tetsugakudo.jp/top.htmにも「哲学の庭」作品群が設置されると聞いています。作品の持つメッセージと説得力に圧倒されます。日本とハンガリーとの懸け橋として、彼の生涯は更に重要な価値をもたらしました。同時に札幌出身の妻のワグナー・ちよにより、彼の作品は今もしっかり守られて多くの方々に更に感動を与えています。そしてハンガリーと札幌と益子のネットワークも拡がることを期待したいです。

 東京への帰り道、宇都宮で乗り継ぎに少々時間があり、夕方でしたが餃子屋2軒に寄りました。

外せませんね

外せませんね

田舎の路線バスでは

Posted by 秋山孝二
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 札幌市内の公共交通の中で路線バスが民営化されましたが、路線の採算等で利用者側の使い勝手と運営企業側とのギャップが取りざたされている昨今です。

先日栃木県益子町で、定例のワグナー・ナンドール財団(タオ財団:http://wagnernandor.com/indexj.htm)の会合に出席する為にいつものようにJR宇都宮駅から路線バスに乗りました。1時間に一本程度のバスで、出発して10分程もすると乗客は数人となる路線、50分程で益子町に入ると、運転手さんに言うと路線上のどこでも降ろして貰えます。以前、1万円札しか持ち合わせがなく困ったなと思って相談したら、コンビニ前で臨時停車してくれて、80円のガムを買って小銭を作って再度乗ったこともあります。地元の方には、次に乗る時で良いよと言う場合もあると後で聞きました。

先日は、こんな光景がありました。宇都宮から益子行きのバスでしたが、走っていると反対側で手を振るおばあさんがいました。私はご挨拶がわりと窓から手を振り返すと、運転手さんも気がついたのでしょう、バスを止めました。すると道をゆっくり渡ってその方がバスに乗ろうとするではありませんか。「○○まで行くか?」との問いに、運転手さんは「行きますよ」と答えました。するとその方が安心したのか乗る前に靴のひもを地面で結び直そうとしました。すかさず運転手さんが「乗ってから車の中でやってよ」とまず乗る事を優しく促すのです。私と一緒だった友人とは顔を見合せて、「都会だったら知らんふりで間違いなく通り過ぎるよね」と。運転手さんの田舎道を走る余裕も感じた1コマでした。次に私たちが降りる段になり、一つ前の停留所を通過したので降車ボタンを押した途端、本当にその場に止まったのです、「ここで宜しいですか?」と言って。まさに「マイ・バス」感覚でした。

更に会議が終わっての帰り道、何せ1時間に一本ですから逃すわけにもいかずぎりぎりで通る到着時刻に間に合い、乗り込みました。暫くすると、小雨の中今度は通っている道沿いで女の子が楽器みたいな大きなケースを背負いながら手を振っていました。バスは一度は通り過ぎたのですが、直ぐに停車しました。私は押しボタン信号が赤にでもなったかと思っていましたら、隣の友人が後を振り向きながら、「今通り過ぎた女の子を待っているみたい」と教えてくれました。最後部座席だったので後を眺めると、その女の子が30メートル位先で何かを待ちながらしきりにバスの方も見ているのです。そして片側1車線の田舎道は、突然のバスの停車で後方にはあっという間に50メートル程の車の列、ただどの車もクラクションを鳴らすでもなく、追い抜く訳でもありません。そうこうしているうちに、やっと女の子が走ってバスに向かって来ました。同時にその後に妹のような更に小さい子がポーチのようなものを手にしながら追いかけて来ます。勘の良い私の友人は、「あの子は楽器の習い事に行こうとしたけれど、お財布を忘れて妹に家に取りに行かせていたのだ」と状況を即座に把握していました。その女の子はバスに、妹はお姉さんに、それぞれ無事間に合いました。息を切らして乗り込んだ女の子は、JR宇都宮駅手前の停留所で雨の中降りて行きました。しっかり荷物の中から折りたたみ傘を出してです。行きも帰りも、バスの乗客は勿論誰も停車に文句をいう人はいませんでした。

私は4歳の頃から札幌の市電に定期券で乗っていました。小さい頃は電車に待って貰うなどという事も出来ず、何回も停留所まで走ったりしていましたが、先日の光景に出合って何かたまらない懐かしさを感じました。今でも残っているのですね、あの当時のような運転手さんとお客さんの関係が。担い手が官でも民でも、公共交通のサービスの原点は、運転手さんの気持と余裕ある環境づくりでしょうか。

蛇足ですが、週末の羽田空港から浜松町のモノレール内です。まさに「マイ・モノレール」でした。全ての時間帯に車両を満席には出来ません。どう乗客を公共交通に誘導するか、その辺がまさに経営努力だと思うのです・・・。乗客の勝手を言わせてもらえば、空いている乗り物は「最高」です。

マイ・モノレール:週末の朝

マイ・モノレール:週末の朝

出版された、「ドナウの叫び」

Posted by 秋山孝二
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 下村徹著「ドナウの叫びhttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4344015908.html」 が昨年11月25日に出版されました。

2008年11月8日のこの欄に、「日本に帰化した芸術家、ワグナー・ナンドール」と題して私の叔父を紹介致しましたが、昨年末に彼の人生をたどったワグナー・ナンドール物語が出版されました。芸術家というと日本では、社会的には芸術・文化の世界を担う、或いは教育界で活躍する人々というような、ある限定されたイメージを持つのは私一人ではないと思います。しかしながら、ワグナー・ナンドールは、二度の敗戦、冷戦、動乱(革命)、政治犯としての指名手配等、時代の荒波に翻弄されながらも、希望を捨てず主体的にたくましく生きました。そして日本の武士道精神と出会い、日本人ちよと巡り合い、日本に帰化して、栃木県益子町でアトリエを構えて創作活動を続けた波乱万丈の人でした。

http://wagnernandor.com/indexj.htm  、http://kankou.4-seasons.jp/asobu/509.shtml

私はこれまでハンガリーには2回程行った事があります。最初は、この本にも登場するテーケシュ氏が中心となって、ナンドールの生まれ故郷ナジュバラド(現在はルーマニア領で名称もオラディア)で開催されたシンポジウムに参加の為に、もう一回は北海道演劇財団のハンガリー公演の同行でした。http://www.h-paf.ne.jp/ 今年の秋、3回目が実現するかもしれません。

ある時に、現在ハンガリーに設立されているワグナー・ナンドール財団の理事長から、日本ではどうしてハンガリー「動乱」と言うのでしょうね、と問われました。「動乱」とは辞書によると、世の中が騒がしく乱れること、と何の事かよく分かりませんね。彼は、1956年の出来事は明確にハンガリー「革命」ではないか、との主張でした。私は、日本の教科書では昔も今も確かに「ハンガリー動乱」であり、ハンガリー政府への配慮のつもりなのではありませんか、と曖昧に答えました。そうすると、「ハンガリー共産党政権は、1989年に崩壊しているのですよ」と更なる言及でした。

日本の教科書の歴史記述には、幾つか意図的な言い換えがありますね。最近では沖縄戦における日本軍の関与について、無かった事にさえなってしまいますので、要注意です。特に立場の違いによる戦いの歴史の記述では、「闘争」が「紛争」になったり、「革命」が「事件」となったりです。在った歴史事実を削除するのは論外としても、事実に基づいて時代とともに表現が変わる事(再評価)はあってもよいのではないか、と思います。

芸術分野も同じかも知れません。周辺諸国も含めたハンガリーにおいて、この10数年来ワグナー・ナンドールとその作品の再評価のうねりが高まっていて、実際に幾つかの街で彼の作品が広場・公園に新たな設置が始まっています。ブダペスト市内のゲレルトの丘に建てられた「哲学の庭」も、その一つです。ヨーロッパにおいては、日本に比べて彫刻作品は強いメッセージ性を持っていて、時代の評価も実に激しいものがあります。4年前のナジュバラドでのシンポも、ルーマニアの政変後に実現したイベントでしたし、開催前日にブダペストからマイクロバスでの5時間程の陸路で、途中途中で昔の同志をピックアップして乗せていく様子、ルーマニア国境を越える時の緊張感は、まるで映画の雰囲気でした。ソビエト崩壊による東欧の激変を実感しました。

広場に建つ彫刻作品は、民衆の心の支えだったり、運動のシンボルだったりする場合が多いですね。芸術家がそれだけ社会との関わりの中で重要な位置づけであり、それ故に迫害とか追放といった権力からの攻撃の的にもなってきたのでしょう。この本にも記述されていますが、ハンガリー動乱のリーダー達のその後の人生で、交通事故等の不慮の事故で亡くなる確率が異常に高いとか、何か言い知れない闇の世界を感じさせます。日本では、直近の戦争といえば第2次世界大戦ですが、そんな国は世界の中で実に数少ない恵まれた国なのかも知れません。

日本に帰化したハンガリー人芸術家、ワグナー・ナンドール

Posted by 秋山孝二
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ワグナー・ナンドールという人物をご存知でしょうか。

ナジュバラドというハンガリー(現在はルーマニア領)の小さな町に生まれ、1956年ハンガリー動乱(革命)での学生指導者・芸術家のひとり。その後スウェーデンに亡命して、そこで私の叔母ちよと出会い、結婚し、やがて日本に帰化して栃木県益子町にアトリエを構えて活躍しました。11年前に亡くなり、現在はそのアトリエを保存・発展し、財団法人タオ世界文化発展研究所http://wagnernandor.com/indexj.htm として春・秋の展示会他の活動を行っています。

彼は東洋と西洋のクロスする価値に魅せられ、多くのメッセージ性の強い彫刻を残しました。しかしながら、母国ハンガリーでは不遇の時代を過ごし、彼の作品の再評価が、この10数年始まって今日に至っています。日本では、町の広場、公園等にある芸術作品は、何か強い時代のメッセージを感じません。公共投資の一環として、ある意味では意図的にそういった作者の主張を除いている風にも見受けられもします。

ヨーロッパの町の広場は、そこの住民の集会の場であり、歴史的にはある時は革命広場、ある時は虐殺の現場でもあります。従ってそこに設置される芸術作品は、明確にメッセージのシンボルであり、それ故に体制が変わるときには引き倒されるといった光景につながってくるのだと私は以前から感じていました。

私の叔父ワグナー・ナンドールの作品には、力強さとそんな心の底からの叫びを感じます。そして20世紀の歴史に翻弄されながらも、力強く生き抜き、東洋・日本の哲学に行き着き、安らぎを得た生涯に感動します。先日の穏やかな秋の日差しの中、益子町の小高い土地に展示されている彫刻作品を見ながら、しばし物思いにふけるひと時でした。