もう一つの25周年記念

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 秋山物流サービス(株)(http://www.suzuken.co.jp/company/group/info02.html)の創業25周年記念社員大会が札幌で開催され、ご招待を受けて出席しました。CSRの一環で秋山財団にも記念寄附を頂き、感謝に堪えません。

 この集会は、 川口敏史・新社長が新しく就任し、新体制のキックオフの意味も含めて、160名を越える社員、スズケン本社(http://www.suzuken.co.jp/)幹部、スズケンロジコム(http://www.suzukenlogicom.com/)幹部が一堂に会して、大変気迫の溢れる雰囲気でした。私にとっても久しぶりの「企業系モード」で、30分程お祝のメッセージも述べさせて頂きました。これまでの25年間を振り返ると、当日直前まで次から次へとたくさんの想い出が私の頭を駆け巡り、この間創り上げてきた価値の大きさを再確認した次第です。

私の伝えたかったメッセージは以下の通りです~~~

 * 25周年お祝い――過去を懐かしむだけでは、ただの「ノスタルジア」

 * 2002年11月に私はスズケン退社:以後も気持は常にスズケングループとともに

 * 「物流」への着目:スズケン社内報8月号「SMILE」――構造改革:MS力と物流力で勝負する

           川口社長は「物流管理・企画力とお得意さまとの信頼関係」
           私は蘇る記憶:医薬品卸業の「安定・安全供給」―――差別優位性ある機能
 
 * これまでの功労者: 最初に井戸を掘った人は誰か?

       ――’85 (有)総健物流 旭運輸武田社長ご夫妻 

       ――’91 秋山物流サービス(株)としてステップアップ

           大成建設エンジニアリング部(http://www.taisei.co.jp/index.html)木村さん、井上さん他

           :「配送効率」、「積載率」、「ABC分析」等

       ――猪股淑郎さん:組織基盤の整備、社員のモチベーション向上

 

 * 「愛生舘」のこころ: 愛生済民――広く庶民の生命をいとおしみ、いのちを救うこと

 
 * リーダーシップはフォロワーシップがあって初めて発揮されること

 

~~~~~~~~~~~

 「会社のあゆみ」を説明された村上理恵さんは、冒頭に25年前に大曲の物流センター建設着工直前、三代目秋山康之進が日記につづった文面を引用して、「物流」の原点を見つめ直す素晴らしい内容でした。

 

 スローガン表彰で今年度「最優秀賞」に選ばれた苫小牧の西島さんも、センスの良さとストレートなメッセージが印象的でした。「基本」がキーワードでしたでしょうか。今、契約社員・パートを含めて全道合わせて460名にもならんとする大所帯、新しい川口社長の陣頭指揮の下で、更なる飛躍をしてくれると期待しています。

 

 久しぶりにお会いした若いスズケン本社幹部のみなさま、難しい時代ですがどうか「勇気」を持って思いっきり活躍して下さいね。あなた方ならきっと成し遂げられますし、この業界、スズケングループの他に誰がやり遂げる力を持っているでしょうか!今日、沢山の元気をくれた皆さまに、心から感謝申し上げます。 

 

「ポロクル2010」、実証実験スタート!

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  ドーコン(http://www.docon.jp/)とNTTドコモ(http://www.nttdocomo.co.jp/)が、サイクルシェアリング実証実験「POROCLE(ポロクル):http://poro-cle.jp/」を今年も札幌市都心部で開始しました。昨年は1ヶ月間でしたが、今年は9月末までの4ヶ月間に渡ります。

 今年は、中央区南1条西5丁目の愛生舘ビル前にも設置されてスタートしています。

南1条西5丁目電車通りです

南1条西5丁目電車通りです

DoCoMoとの提携です

DoCoMoとの提携です

 ブルーの自転車は遠くからも大変目について、利用するには事前登録が必要ですが、6月は取り敢えずお試し期間です。

 私は時々人から言われます、「財団理事長は全く無給と聞いているけれど、どうやって毎日暮らしているの?」と。私は(株)スズケンを退社した後、この「愛生舘ビル」の管理会社の社長に就任し、その報酬が日々の私の食いぶちです。愛生舘ビルのあるこの場所で生まれ、18歳までここで育ち、札幌の町なかの変貌ぶりを実感しています。幼い時の自転車と市電は、私の札幌の町なかの原風景です。

 数年前に、6丁目との間の通り沿い敷地内にあった飲料自動販売機4台を撤去して、そこを「自転車駐輪場」としました。昨今、「放置自転車」と目の敵にされている自転車ですが、本来は大変便利で安上がり、特に町なかの賑わい創造として、公共交通とのタイアップを前提として、将来的にも有望な移動手段だと以前から思っています。道路交通法では、「軽車両」の扱い、それ自体時代遅れとも思えますが、その走行に関しての法律上の定めが一層現実に合っていませんし、多くの市民が誤解をしています。

 町なかの商店街の方々も、従来からクルマで来るお客さんには駐車料金優待を行っているにも関わらず、自転車で来るお客さんには何の特典もありません。それどころか、「違法駐輪」とか「放置自転車」とレッテルを貼って、自転車を虐げてきている現状です。

 今回の実験では、まだまだ改善余地はあるのですが、「地域の活性化」、「CO2排出量の削減」といった目標もしっかり掲げて「札幌のまちの元気」を目指していますので、この実験から得られる貴重なデータの解析は、今後の町なかでの本格的自転車利用に向けて、大変楽しみです。

「木朝会」、そして「オトナ・ヴォーグ?」

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  毎月第3木曜日の朝は、「木朝会(もくちょうかい)」の例会が午前7時から朝食付きで、もう20年以上行われています。

 設立経緯は、20数年前に私と当時北広島の民間病院経営者の先生と相談して、意欲的な民間病院経営者の勉強会をしたいとの事で立ちあげました。私は設立時から事務局長として、毎月講師をお招きして熱心な勉強会を地道に繰り返していました。今では(株)スズケンの方が事務局を担って続けています。

 この勉強会に所属する最初の代表・竹内先生は、厚生省の中央社会保険医療審議会(中医協:http://www.geocities.jp/onlinemedsante/chyuikyou.html)の委員を7年間もお務めになりましたし、現在では以前にこの会の代表でした西澤先生が、全日本病院協会(http://www.ajha.or.jp/)会長に就任後、中医協委員としてご活躍中です。北海道の先生が、全国組織の「会長」に就任するのは、誇り高いことだと思います。様々な会合に出席するバックデータの提供他、これまでの「木朝会」の果たしてきた役割は、大変大きなものです。同時に、まっ暗い冬の朝にも毎回出席される先生も経営に熱心ですね。札幌圏の民間病院の先生方も、厳しい時代を生き残る知恵を、毎回学んでいらっしゃいます。

 

 ところで、先日会場の札幌パークホテル(http://www.park1964.com/)受付の場所で、何気なく隣のスペース「プライダル」を見ていると、素晴らしいフレーズの広告が出ていました。

大人の雰囲気・結婚式パック

大人のウエディングプラン?

  「招くプライドと招かれるステイタスが交差する、それが大人流の心地良さ」(?)

 よく意味が分かりませんが、何となく心地良いリズムと言葉のような気がしました。ところで「大人のウエディング」とは、一体どういう意味なのでしょうかね?勝手に、「初めてではない結婚式」と解釈したり・・・・。

中島公園と藻岩山

中島公園と藻岩山

 木朝会は20数年前の開始の時から札幌パークホテルで継続して開催しています。いつもこのホテルからの眺望で感じますが、藻岩山の全景と手稲山への連なりとその背景、札幌の原風景を今もなお見ることが出来る数少ない場所で、本当に素晴らしいですね。

今西祐一さん、逝く

Posted by 秋山孝二
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  まさに突然の訃報でした。9日にケープタウン・ヨハネスバーグ・香港と飛行機を乗り継いで香港空港に到着して、空港搭乗口ロビーでパソコンメールを確認したら、(株)スズケン執行役員・愛生舘営業部長の今西祐一さんが急逝されたとの報でした。札幌で昨日お通夜、本日告別式があり、私は弔辞を述べさせて頂きました。

花で飾られた美しい祭壇でした

花で飾られた美しい祭壇でした

 

「弔辞

  株式会社スズケン執行役員・愛生舘営業部長今西祐一さまのご霊前に、謹んでお別れの言葉を申し上げます。

昨年末、愛生舘営業部の方から今西さんがご入院中とお聞きしており、新しい年にはご回復して少しでも早い現場復帰をと、お祈り申し上げていました。三日前の朝、私はアフリカからの帰国途中、香港国際空港でメールを確認して今西さんの突然のご逝去を知り、しばし呆然としてその場に座り込みました。

平成十七年七月に愛生舘営業部長として着任してすぐに、大変明るいご性格でリーダーとしての風格を漂わせながら、早々に秋山財団にご挨拶にお越し頂いた時のことは忘れることができません。まだ着任間もないにもかかわらず、「北の大地・北海道」をこよなく愛するお言葉の数々に、私自身この地域のスズケンの営業活動に一層の期待を寄せた次第です。以来、秋山財団の活動にも大変深いご理解をお示し頂き、昨年九月の講演会・贈呈式開催に際しても、道内の支店長全員のご出席を促して、お陰さまで成功裡に終了することが出来ました。

また平成十八年一月の私の父の葬儀では、ご多忙の中、株式会社スズケン及び関係グループの社員を代表して弔辞を読んで頂き、大変感銘を受けました。心から感謝申し上げます。

それ程回数は多くはありませんでしたが、故郷土佐のお話も伺った気がします。昨年五月、私も所属する北海道経済同友会がホスト役で、年一回の全国会議が札幌で開催され、約九〇〇名の方々が参加されました。その少し前に今西さんにお会いした時、「来年は土佐経済同友会がホストで四月に開催予定です」とお話を致しました。その会議もいよいよ来月に迫り、私は近いうちに土佐のお話をあらかじめ詳しくお伺いしようと思っていた矢先のご逝去でした。四月に訪問する時は、今西さんの育った土佐の地を、一層の思いを込めて肌で感じて参ります。

北海道で活動する愛生舘営業部の社員を、ある時は深い愛情をもって励まし、ある時は厳しいリーダーとして指導されていた今西さん、あなたの部下たちは、その志をしっかり個々で受け止めて、これからの社業に貢献すべく努力してくれることを私は確信しています。

 一昨日ご自宅に参りました時、奥様・お子様からご家庭での今西さんが、会社と同じご様子であったと伺い、あらためて生前のお姿を思い出して胸が詰まる思いでした。残されたご家族に対して、これまで今西さんにお世話になった愛生舘営業部で働く人々、そして秋山財団関係者は、少しでもそのご恩に報いるためにもお力になることをお誓い申し上げます。

 今西祐一さまの生前のご尽力に対し、深く感謝の念をささげてご冥福をお祈り申し上げます。

 どうか安らかにお眠り下さい。

 

 

平成二十二年三月十二日

 公益財団法人

秋山記念生命科学振興財団

理事長 秋山孝二     」

 

今西祐一さんのご冥福をお祈りすると同時に、残されたご家族のご健勝を祈念致します。

 

 

「届かなかったラヴレター」、ブラボー!

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  かなり前から楽しみにしていた、クミコさんhttp://www.puerta-ds.com/kumiko/と井上芳雄くんhttp://www.grand-arts.com/yi/&徳光和夫さん(フリーアナウンサー)と上柳昌彦さん(ニッポン放送アナウンサー)のコラボレーションで、「感動の実話集『届かなかったラヴレター』の朗読を名曲で綴るハートフルコンサート」が札幌コンサートホール・キタラhttp://www.kitara-sapporo.or.jp/で開催されました。東京では渋谷のBunkamuraオーチャードホールhttp://www.bunkamura.co.jp/orchard/index.htmlで2日間だったようです。両方とも本格的クラシックホールですね。 

CDより

CDより

  私はクミコさんのファンで、札幌のライブハウス「tone:http://www.cafe-tone.com/」で最初にお会いして以来、店主の宮澤洋子さんからもご案内を頂き、ほぼ毎回出かけていますし、ライブ終了後の打ち上げにも参加させて貰っていました。昨年このコラムにも書き留めました。http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=648

 一昨年は、武道館での複数でのライブも行ってきましたが、とにかく歌が上手で雰囲気があります。シャンソンを基盤に素晴らしい伸びのある声は、長い下積み時代に培われた「本物」の魅力を感じます。この日の「届かなかったラヴレター:http://www.youtube.com/watch?v=tLGFIwueQIs&feature=related」も最高でした。

 一方井上芳雄クンについては、私がスズケン時代にお世話になった管理薬剤師で自閉症に関する沢山の著書もある明石洋子さんhttp://www.budousha.co.jp/booklist/book/arinomama.htmのご家族が、九州時代から井上クン一家とは長い家族ぐるみのお付き合いということで知り、ミュージカルのお誘い等もあり足を運んでいました。抜群の歌の上手さに伸びしろも広く、日本を代表するミュージカルスターとして世界で活躍して欲しいと願っていました。

プライベートな時の井上くん

プライベートの井上くん(明石さん撮影)

 そんな感じで私としては全く別々に応援していたら、数年前からこのお二人がコラボレーションでライブとか曲「車輪」を出しているではありませんか。「最高のコラボ」だと感激しました。とにかく両者ともプロフェッショナルとして歌が上手いのと、人間的な奥行きがあります。 

 先日の朗読とライブでも、沢山の歌が披露されましたが、特に印象的だったのは次の2曲です。一つは、 中島みゆきの「ホームにて:http://www.youtube.com/watch?v=DI9hFRa5yEI&feature=related」です。30年近く前、私が東京での教員生活から札幌に家族全員で行く直前に、レコードのシングル盤でよく聞いていました、確か何かの曲のB面だったと思います。当時、最終列車とホームの様子が心にしみてきました。クミコさんが歌うこの曲を初めて聞きましたが、自分の若い頃の印象とはまた違った感じで良かったですね。

 もう一つは、佐々木祐滋さん作曲「INORI:http://www.youtube.com/watch?v=p68-l_Px3YA」です。広島の「原爆の子の像」のモデル・被爆者佐々木禎子さんを歌った曲で、クミコさんのCDが本日リリースされるといいます。佐々木さんは禎子さんの甥(おい)になり、シンガーソングライターとして全国の小学校等300校以上でもこの歌を紹介してきたそうです。

 納得のいく方々のステージは、聴衆に素直に入ってきます。始まる前のグラス一杯のワインも良かったのでしょうが、ライブ終了後の後味の良さは格別でした。それにしても身近でお会いしている時と違って、舞台で活躍されている方々は、ステージでは本当に大きく見えるものですね。

キリンとサントリーの「破談」に思う

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 世界最大級の酒類・飲食会社を目指し(?)経営統合交渉を行っていたキリンホールディングスhttp://www.kirinholdings.co.jp/とサントリーホールディングスhttp://www.suntory.co.jp/でしたが、8日「打ち切り」を表明しました。メディア的には「破談」と言うらしいですね、新聞報道によると「両社の認識が一致しなかった」との理由だそうです。また、創業家と統合比率も大きな不一致材料だったと複数の報道もされています。

 この種の報道の時に、よく結婚前の「お見合い」に例える方が多いのですが、私は大変不適切だと思います。「お見合い」を一度も経験していない私ではありますが、昨今の「結婚」は大変多様ですし、大体伝統的なものが男女対等の関係とも思われません。「嫁をもらう」とか、仲人とか、およそ企業のM&Aとは無縁の構図だと私は以前から感じていましたが。

 直近5年間を見ても、ライブドアとニッポン放送(05.4)、王子製紙と北越製紙(06.8)、楽天とTBS(09.3)、日本通運と日本郵政グループ(09.9)等、経営統合交渉が打ち切りになった事例が目立ちますが、私にとっては「何か軸が違っている」、或いは「そもそも経営統合の目的でトップ同士の意思確認が出来ていたのかどうか」、トップ同士の信頼感に関して疑問を抱かざるを得ません。

 今回の場合、東証1部上場会社のキリンと、創業家が株式の9割を保有する未上場会社のサントリーとでは、外部の目からも、当初から「経営」と「所有」に対しての認識に大きな違いがありましたね。むしろ、よくこの状態でM&Aのテーブルに着いたな、と思っていました。そんな意味からは善悪の問題ではないのですが、今回の「打ち切り」は前向きな決断かもしれません。

 というのも、私は、1998年に医薬品卸業界で(株)スズケンhttp://www.suzuken.co.jp/と(株)秋山愛生舘の大型M&Aの一方の経営者として事に当たり、当時業界再編成の先駆的事例となった経験があるからです。ともに東証上場企業であり、トップ同士の信頼も最後まで崩れることなく交渉は進みました。「統合比率」でもめるなど、今振り返っても少しの可能性も無かったと思います。上場会社には株式市場で決まる「株価」がありますし、財務諸表も開示されていますので、予め大体の予測はつきます。極端に言えば「自ずから比率は決まってくる」に近い項目ではないでしょうか。腹の探り合い、創業家の主導権維持等での統合比率交渉だとすれば、事業統合の目的を見失った経営者の姿としか思えません。

 ただこんな経験もあります、私が合併後に関わった未上場会社との事業統合交渉では、毎回この「統合比率」、別の言い方をすると、未上場会社の社長の「俺の会社の株価をいくらに評価してくれるのか」という発言で、もめていました。自分の財産をどう評価するかが、創業家の経営者にとって、結局のところは最重要課題である場面を目の当たりにしました。

 私は1997年7月、(株)秋山愛生舘の5代目社長として、自分で事業統合への思いを「合併の趣旨」として冒頭に記載し、合併契約書を締結しました。当時相手方の(株)スズケン別所社長に事前にこの趣旨を提案した時、一言「これで結構です」とおっしゃいました。殊に「社会的使命」と「ビジョン」については、激変する社会環境への対応と果たすべき役割を共通理念としており、業務提携以来3年半に渡る経過で得た成果だったと自負しています。東証での記者会見の時、これに対する質問はどの記者からもありませんでしたが・・・・。

以下、その一部を抜粋して書き留めます。(下線は、ここに掲載の為に私が挿入したものです)

 

 

 <合併の趣旨>

両社が19942月に業務資本提携を締結して以来、約3年半が経過いたしました。この間、経営的視点からは、「21世紀に勝ち残る『新しい価値創造』が両社で可能かどうか」、「進化していく『力』が存在しうるか」、が最重要課題でした。一方各層での意見交換の場としての提携推進委員会の活動を通じて、商品供給、教育・研修、情報システム、新事業の開発と協同推進等の分野で相互理解を深め、幾つかの実績をあげて参りました。

 

この間の提携を冷静に総括し、

1)新しい価値創造の基盤、すなわち共有すべき理念(使命・ビジョン・価値・責任)

2)新しい価値創造のエネルギー、すなわち異質であるもの  

の存在に確信を得ました。異質なるものの確認は、この提携のマイナス要素ではなく、激しく変化する環境の中で、生き残るエネルギーとしてむしろ評価すべきものです。異なった地域で育ってきた人材、企業の成長過程、風土等は、多様性を包含出来得る可能性と評価し、新しい企業文化の創造に向けた限りない潜在的エネルギーとして、寄与できるものと確信しています。

 この様な背景の中で、異質なるものを包含した両社が、一歩進んで『新しい会社』を目指して合併する事により、激変する経営環境を乗り越える広域卸業としての確固たる経営基盤を築くことが出来るとともに、国内市場のみならずアジア等海外市場にも雄飛していくことを可能ならしめるものです。

 

企業理念として次の様な点において、基本的に同一の認識を共有しています。

社会的使命: 両社は、心から生命をいとおしみ、社会の幸福と繁栄を革新的に推進する「総合健康創造・支援企業」です。

ビジョン: 両社は、国際的視野を持って、常に力強く変革を遂げ、顧客・両社で働く全ての人々・ビジネスパートナー・地域社会・株主に対する責任を果たし続ける良き企業市民を目指し、すべての人々が信頼し期待するリーディングカンパニーになります。

 このような考え方のもと、両社は対等な精神で両社の経営資源を統合し、もって両社の社会的使命を確実に実現して参ることで合併に至ったものであります。

 

 この経験はもう10年以上前ですが、今も私はM&Aの話が出てくる度に、この「合併の趣旨」を越えるものは無いと考えています。共有する基盤は必須要件ですが、かと言って全く同じものであれば、規模が大きくなるだけで新しい価値創造はありません。「異質なもの」が交じり合う(ぶつかり合う)ことによって新しい価値創造のエネルギーとなり、全てにおいて一致している必要はないでしょう。。更に、「認識の共有」と「統合比率」は基本的に全く別問題、「株主比率」と「経営の主導権」も、別です。

 企業の生き残りをかけた選択は、まさに「理念」の勝負だと、私はささやかな自分の経験から思っています。

街に出れば、懐かしい人との出会い

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  札幌のまちは190万都市と言えども、中心部の繁華街を日中20分程も歩くと、必ず知った人に会うから面白いです。この数ヵ月間、駅の構内、地下鉄駅の通路他で、懐かしい人たちと「劇的に」お会いしました。

4月初めにJR札幌駅を地下鉄から北口方面に向かって歩いていると、昔の会社のMさんと思われる人が軽い足取りでやってくるではありませんか。思わず声を掛けるとあちらも「お久しぶりです」と、変わらぬ「笑顔」でご挨拶。「あと数ヵ月で定年となり、稚内勤務から札幌に戻り、暫く本社に居る事になりました」と。初めて会ったのはもう30年以上前になりますか、それ以来いつも若くて溌剌とした雰囲気の彼も定年というのは、俄かには信じられないのですが、時の流れは確かなのでしょう。素晴らしい笑顔のお陰で、一日中私は力を頂きました。彼の札幌での充実した生活を祈念しています。

それから間もなく、今度は朝の地下鉄円山公園駅の通路でした。公立高校の入学式の日で、お子さんと親と思われる姿が何組も通り過ぎて行きました。と向こうから来る若く見える男性、あちらも私を見ていたその時、「S・N」と思わずフルネームで呼びとめたのです。ほぼ同時に「しばらくです」と元気な声が返ってきました。今、会社で首都圏の営業部の幹部となって活躍している事、今年から娘さんが市立旭ヶ丘高校に入学した事を短い会話のやり取りで知りました。日に焼けて元気あふれる顔つきに、随分大人になったなと思うと同時に、これからも期待したい気持が湧いてきましたよ。

更に、かでる2・7でフォーラムがありその帰り道、大通公園を横切って歩いていると、後の方から男性の声で「秋山社長ではありませんか」と。振りむくと一瞬名前は出てこなかったけれども懐かしい笑顔の顔、そして隣には会社の同期の女性も。「今どこにいるの」と聞くと、「保険会社にいます」との返事でした。すぐに名前も思い出し、入社年月日を聞くと100周年後でしたから私が社長の時です。背の高い爽やかな彼は、当時入社1年後に新入社員への歓迎の辞か何かを述べた事で記憶に残っていました。10分以上も路上で話をしていましたかね、連絡先を聞いて別れましたが、その日も何かとても自分自身元気が出ていました。

先週の土曜日夜に、(株)スズケンhttp://www.suzuken.co.jp/出身者の会「ケンユー会」愛生舘支部の総会・懇親会が例年通り開催されました。1998年に(株)スズケンと(株)秋山愛生舘が合併した後、当時秋山愛生舘の出身者の会だった「愛進会」もスズケンの出身者の会「ケンユー会」と合併したのです。会社の合併は今では良くある話になりましたが、出身者の会(OB・OG会)も合併というのは大変珍しい事だと思いますね。多くの場合は、出身者というのは合併等には批判的、或いは現在の経営幹部をはじめとする現役に対しても否定的です。毎年ではありますが、先日は特に参加者も多く、現在の会社の状況・新しい取り組み・今後の展望等も本社の現役副社長から説明があり、出席した皆さんは大変興味を持って聴いていました。

10周年記念で作成した支部旗

10周年記念で作成した支部旗

昭和20・30年代に会社で仕事をした方々は、「自分にとって、会社で学んだ事が人生のすべてだった」とおっしゃっていました。古き良き時代と言ってしまえばそれでお仕舞いですが、お花見、海水浴、年末もちつき、新巻しゃけの12月ボーナス、会社が大家族のようで懐かしい時代でした。
50歳を越えてくると、体力的には確かに衰えを感じはしますが、思い出の分母は大きく拡がっているので、人との再会をはじめ沢山の体験に基づく多様なストーリーによって、繰り返し繰り返し自分自身で楽しめるみたいな、そんな充実した気分になるのが不思議です。特に人との思い出では、相手の成長と変化(決して老化とは言いません)も楽しめて一層物語に深みが増しますね。
先日の出身者の会では、「眉毛から額のあたりがお父さんそっくりになってきたわね」とか、悪ガキで倉庫・事務所で遊びまわった私を家族のように評した女性もいらっしゃいました。皆さん、会社を離れてもうかなりの年数が経ているにもかかわらず、懐かしい思い出・貴重な経験として心に残っている素晴らしさ、今会社で働く人々も是非将来そんな感動を持って頂きたいと祈るばかりです。
10周年を記念して撮影した集合写真の出来上がりが楽しみです。

愛生舘の「こころ」 (2)

Posted by 秋山孝二
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 明治維新の歴史認識にも関係しますが、「愛生舘事業」の歴史的背景は、ある意味で現在の状況と大変似ているのではないかと思います。

先日、長年の私の友人からメールを貰いました。

―――明治維新は、厳密な意味ではフランスやロシヤみたいに迫害された民衆が自ら闘って自由を勝ち得た”革命”ではありませんでした。あくまでも政治の面で捉えれば、単に江戸幕府衰退と共に雄藩が政権を握ったに過ぎません。

 開拓期、そうした薩長土肥の藩閥政府が横行する初期、民衆に医療・公衆衛生を持ち込んだ松本良順や高松保郎の思想の源流、その彼らを中心とする「愛生舘事業」の実践は、ある意味では、すなわち必ずしも新時代の変革は「政治」の舞台だけではないという意味で、後年、藩閥に反発して立ち上がる自由民権運動よりも更に先んじた自由平等主義の実践者たちであったろうと思われるのです。老若男女が心身共に病むこの21世紀の日本が失った、取り戻さなけれなばならないエスプリが、愛生舘のルーツに秘められている気がしてなりません。それは蘭学が内包する”博愛”とか”弱者救済”精神に基づいた学問・技術・文化などが、質実的な面で明治時代の民衆を支えたと言えます。政治の暗闇に光を当てたのではないでしょうか。近代への道は決して政治力だけではなかったはずです。

 黒船来航に伴い幕府が設立した長崎伝習所、勝海舟や松本良順はじめ、幕末のインテリが学んだ”蘭学”に内包する哲学は、タオ財団のワグナー氏の言葉「それぞれ民族の違いの主張ではなく、いかなる共通点を探し求めるか」とする、作品「哲学の庭」に通ずるテーマと言えるでしょう。貴兄の言葉通り「いのち」とは平和そのもの、世界共通語であります故、「人類愛」を意味するキーワードでもあります。

 (注)タオ財団http://wagnernandor.com/indexj.htm  ――――

衛生書「通俗民間療法」(左)、大鏡(右:高さ1.5m)

衛生書「通俗民間療法」(左)、大鏡(右:高さ1.5m)

 

 

 全国的な愛生舘事業の中で、特に北海道支部のミッションは、北海道開拓を担う屯田兵の後方支援、及び全国から入植してきた開拓移民の健康維持・向上でした。1891(明治24)年、東京神田の館主・高松保郎亡き後は、北海道支部長だった初代秋山康之進が自らの名前を掲げて自立し、「秋山愛生舘」となりました。愛生舘事業の理念は、自社販売していた「通俗民間治療法」の中に明確に示されています。「山間僻地までの医薬品供給、医師の診療を受けられない病人の救済、貧者・弱者への施薬、すなわち、利益追求ではなく、あくまでも民間の衛生・治療の便益を図る事を最優先にする」、それが事業の目的であると書かれています。この理念を継承し地場企業として、秋山愛生舘は北海道の地を基盤に、第二次世界大戦後1948(昭和23)年には株式会社として法人化し、私は1991(平成3年)6月に第五代目社長に就任し、1992(平成4)年には札幌証券取引所上場、1997(平成9)年に東京証券取引所市場第二部上場となりました。その後、(株)スズケンhttp://www.suzuken.co.jp/ と資本・業務提携を経て合併し、北海道は「愛生舘営業部」として、今も活動しています。

私は2002(平成14)年11月に(株)スズケン代表取締役副社長を退任しました。その後、故郷札幌に戻り、これまでの(株)秋山愛生舘の108年の活動を振り返り、持続する企業として3本の論文にまとめました。

「地域企業の持続的経営の分析」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004813846以下、「地域企業の進化の分析」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004813848/、「持続的経営論」http://ci.nii.ac.jp/naid/110006392571/と続きます。

一方、(株)秋山愛生舘の100周年事業の一環として、それに先立つ1987(昭和62)年1月に「(財)秋山記念生命科学振興財団」を設立しました。http://www.akiyama-foundation.org/ 「地域社会への貢献」という理念の実現は、医薬品販売の事業から更に発展して、愛生舘事業の理念を根幹に、財団の助成・育成事業として継承・進化しています。

秋山孝二プロフィール

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プロフィール

氏名 秋山孝二
生年月日 1951(昭和26)年1月18日 札幌市生まれ
最終学歴 千葉大学教育学部 1974(昭和49)年3月 卒業
現住所 札幌市
連絡先 公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団
http://www.akiyama-foundation.org
電話番号:011-612-3771
ファックス:011-612-3380

略歴

1974(昭和49)年 4月 東京都江戸川区立鹿本中学校 理科教諭
1979(昭和54)年 4月 株式会社秋山愛生舘 入社
1992(平成 4)年 6月 同      代表取締役社長
1998(平成10)年 4月 株式会社スズケン 代表取締役副社長
2002(平成14)年11月 同     退社
2003(平成15)年 8月 秋山不動産有限会社 代表取締役社長、2013(平成25)年4月に代表取締役会長
1996(平成 8)年 3月 (公財)秋山記念生命科学振興財団 理事長

公職

1993(平成5)年10月 伊藤組100年記念基金 評議員
1996(平成8)年 4月 公益財団法人 杉野目記念会 評議員
1996(平成8)年 4月 北海道経済同友会 幹事
1997(平成9)年 3月 公益財団法人 北海道対がん協会 理事
同上 2004(平成16)年5月より 監事
2004(平成16)年 4月 公益財団法人 北海道演劇財団 副理事長、2014.6 理事長、2020.6 副理事長
2006(平成18)年 3月 公益財団法人 ワグナー・ナンドール記念財団 副理事長、2012.6より 理事長
2006(平成18)年 4月 札幌学院大学(SGU) 客員教授
2009(平成21)年 5月 非営利活動法人 北海道市民環境ネットワーク 理事
2011(平成23)年 7月 一般財団法人 北海道札幌南高等学校林 理事、2014.11より 理事長
2012(平成24)年 4月 公益財団法人 北海道環境財団 評議員

「オモテ舞台から消えたあの人は今・・・」かよ!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
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 北海道のさる月刊誌、今月15日に発売なった新年号の「オモテ舞台から消えたあの人は今・・・」のタイトルの中で、なんと私の名前が掲載されています。ああいった見出しで掲載されるとは、考えもしませんでした。私は舞台から降りた気は何もないのに、ご親切にもその月刊誌からは「降ろされ、消され」ました。

私はこれまで、メディアの取材申し込みをお断りした事はありません。基本的にはどんな意図であろうとも、メッセージ発信の機会と前向きに捉えていました。しかしながら、昨今のメディア・記者の取材は、事実関係自体も怪しくなってきているので、当事者としては、明らかに事実と違う場合は訂正を強く要求したいですね。ただ、その手だてがありません。ひどいときには取材もなしで、あたかも言ったかのような記事を書いたり・・・。こちらの時間にも限りがある中で、良かれと思ってこれまで対応してきましたが、姿勢を変えた方が良いのかもしれないと思い始めています。その後始末の労力が大変ですからね。

以下、瑣末な事とは思いながら、今回の記事の中で事実と違う事を修正させて下さい。

1)“泡沫”扱い?: 普通、選挙では供託金(予め立候補前に選挙管理委員会に納める定額のお金)を納めます。’03札幌市長選挙の場合は240万円でした。選挙結果で自分の得票数が、有効投票数の10%以下だとこれが没収になります。私の場合は越えていましたので、後日戻って参りました。「泡沫」というのは、普通はこの供託金が没収の候補者を言うのだと思いますが。

2)「康之進」の襲名に関して?: 二代目は初代の娘婿、三代目は二代目の娘婿、その次の社長は二代目の娘(三代目の妻)ですから、男性の名前の襲名など有りようもないです。因みに私は、「英語のイニシャルがKで同じだからいいでしょう?」と良く分からない事を言って、襲名しなかったのです。

3)千葉県で中学教諭?: 東京都江戸川区です。大学の地元ではなく、敢えて江戸川を渡った他の場で力を試したいという心意気でしたので、この間違いは許せませんね。

4)東証1部への上場?: いきなり1部はありません。合併時は東証2部です。少しして1部の予定でした。スズケンは店頭登録から東証2部へと進み、現在は1部上場企業です。公開会社同士の合併という所に、意味があるのです。

5)その傷もすっかり癒えて?: この経験を傷といっては、本当に傷をお持ちの方に失礼です。私にとっては大変貴重な体験で、その後の人生・活動に大きなプラスの影響を与えてくれました。傷も癒えてどころか、貴重な経験で心からの感謝です。

6)創業の地(札幌市中央区大通り西5)?: 明治からの創業の住所にもこだわりを持っています。中央区南1条西5丁目です。大通り西5は電車通りをはさんで一つブロックが違います。ちなみにビルの名称も「秋山ビル」ではなく、「愛生舘ビル」です。

7)北海道に応援団は必要ない?: 応援団は必要ですが、応援をする素振りで評論だけするなら必要はないので、フィールドに降りてきてプレーをしろよ、と言ったのです。

以上の通りです。「まだ話題にしてくれるだけ存在感があるということだろう」という方もいますが、とてもそんな気にはなれませんね。月刊誌・週刊誌は売れて何ぼの世界でしょうが、最低限の信義は、取材する対象者及び読者に対しても必要だと思います。