キッシュさん親子、日本に寄せる心

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 この欄に、何回も登場しているキッシュ・シャンドールさんは、15年以上も駐日ハンガリー大使館(http://www.mfa.gov.hu/kulkepviselet/JP/jp/)に勤務されていた元外交官です。奥さまは学校で日本語の教師をつとめられると同時に、ハンガリーで日本語の国家試験の問題作成にも当たられています。お嬢様のレイカさんは、完璧な日本語を駆使してプロの通訳としてご活躍中、10年前の7月に天皇・皇后両陛下がハンガリー・ブダペストをご訪問された時(http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h14e-easterneurope.html#HUNGARY)には、美智子妃殿下の公式通訳をされました。とにかく敬語の使い方ほか、正確で優しい彼女の日本語に接して、あらためて日本語の美しさを感じ取ります。ブダペストでご活躍の息子さんは、コンピューターのエンジニア、やはり日本語に堪能で、とにかくキッシュさん一家の日本に寄せる熱い気持には、こちらが感動します。

レイカさん、シャンドールさん、堅田さん、お疲れ様でした

レイカさん、シャンドールさん、堅田さん、お疲れ様でした

 これまで、いくつか書きました:

* 2年前に札幌で開催されたフォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6371

* 同じ年、東京中野区の哲学堂公園に建立された「哲学の庭」一周年記念フォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6768

* 昨年のルーマニア・ハンガリー訪問での式典&フォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10355、 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10423

 毎回、キッシュさんは中心になってご準備をされて、お世話になっています。札幌の劇団がハンガリーを訪問した時も、ワグナー・ナンドール関係の訪問でも、笑顔を絶やさず、そのホスピタリティには学ぶことばかりです。

 「外交官」と言えば、私はこれまでたくさんの「外交官」にお会いしてきましたが、正直に言って、どこか「尊大な」方が多く、親しみを感じることが難しかったですね。外国でお仕事をされていると、数々の外交特権があり、仕事を終えられた後も何かその「特権から抜けられない人格」となってしまうのでしょうか。特に、戦後の経済成長を成し遂げた日本国の経済力を背景に仕事をされたきたゆえなのかもしれません。

 ある北欧の国の日本大使館の外交官(ある省から大使館に出向中)は、夕食をご一緒中に突然パスポートか身分証明書を私に見せて、「この番号があると、レストランで代金を踏み倒すこともできるんだ!」と。私は思わず、「はぁ、それで?」と言ってしまいました。

 また、アメリカのある都市に駐在の総領事は、企業訪問を続けていた私に、「最近の民間外交も御熱心ですな~」と、冷やかな笑いで言い放ちました、真剣な企業訪問を薄っぺらな「外交」と一緒にされてはたまりません、第一に「民間外交」という言葉自体、何と侮蔑した表現ではありませんか。一方、ヨーロッパで大使館勤務を経験されてワインにお詳しい方は、「私は大使館勤務で、ヨーロッパのワインを殆ど試してみました」と誇らしげ。「ワイン通」を自称する方で、ご自分のお金で飲んで経験を積んだ方は数少ないですね、特に外交官の場合は、「国民の税金」でしょう、その国民への感謝の気持も全く感じていない、何がワインの味ですか。これまでの「くそ~っ」と思った体験を書き始めたら止まらないので、この辺にしておきましょう。

 そんな中で、キッシュ・シャンドールさんは、トランシルバニアと日本の関係では際立った造詣の深さです。その成り立ち、歴史認識、人への思い等です。知識と人柄が調和した「品格」をお持ちと言えば宜しいのでしょう。

キッシュさん(左)に感謝です

キッシュさん(左)に感謝です:成田ビューホテル前庭の「道祖神」像で

 キッシュ・シャンドールさん、レイカさん、これからも宜しくお願い致します!

「母子像・ふるさと」札幌に到着!

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  昨年のフォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6371)から1年を経て、ワグナー・ナンドール記念財団(http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html)が札幌市へ寄付した「母子像・ふるさと」が、旧札幌市長公館跡(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4981)に10月31日に到着しました。

 栃木県益子町から大洗のフェリーに乗って、地元益子町の田中さんご夫妻がトラックで搬送して設置も完了しました。今後は周辺の整備・養生を終えて、今月18日午後2時の除幕式を迎えます。

益子からはるばるやって来た「母子像・ふるさと」

益子からはるばるやって来た「母子像・ふるさと」

18日午後2時からの除幕式まではひっそりと

18日午後2時からの除幕式まではひっそりと

 田中さんは、一昨年の中野区哲学堂公園に建立された「哲学の庭・群像:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2792」も、一週間泊まり込みで11体の像を設置しました。今回は数時間でしたが、大きな木箱に梱包して、陸路・水路を経ての搬送、終了後もとんぼ返りでまた深夜のフェリーに乗って、益子に戻りました。3・11以降の震災復旧のお仕事が地元で目白押し、とても札幌でゆっくりしている時間は無い様子でした。

 「母子像・ふるさと」は、台座に23度横向きにボルトでしっかり固定され、18日の除幕式までカバーが丁寧に掛けられました。周辺が整備されるとまた一段と雰囲気も出るのでしょうが、思えばワグナー・ナンドールと出会った私の叔母・ちよさんのふるさとに、しっかり固定された、まさに劇的瞬間なのですよね。

 3・11以降、「絆」の大切さが再認識される昨今、この像が放つ「いつの世でも、どんな国でも確かな絆としての母と子」、それが「札幌市長公館跡地」に建立される大きな意義を感じます。

田中さんご夫妻に金メダル!

田中さんご夫妻に金メダル!

 遠くからありがとうございます、この仕事を成し遂げた田中さんご夫妻に、表彰台で「金メダル」です!!

ワグナー・ナンドール秋季展 2011

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 栃木県益子町にある、「公益財団法人 ワグナー・ナンドール記念財団:http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html」の秋季展示会が、11月15日まで開催中です。今年の春は、震災の影響で彫刻が一部破損等もあり中止されていましたので、今月15日のオープン以来、大勢のお客さまで賑わっています。先日、開場前に一回りしました。

ワグナー・ナンドールのアトリエ

ワグナー・ナンドールのアトリエ

益子の財団、中庭で:右にヨーゼフ・アティラ像も

益子の財団、中庭で:右にヨーゼフ・アティラ像も

元祖:益子の「哲学に庭」

元祖:益子の「哲学に庭」

 先日、訪問した時にも、入れ替わり立ち替わり見学者の方々がいらっしゃいました。早い方は、開場30分以上前にお越しになり、11月にツアーを組んでグループをお連れする「下見」とおっしゃって、熱心に見学されていました。

 また、ご夫婦で到着するなり、「全て踏破した!」と。何のことかと思ったら、中野区にお住まいだそうで、「哲学の庭」像群について、地元の「哲学堂公園:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2792」、ハンガリー・ブダペストの「ゲレルトの丘」手前、そして元祖・益子のワグナー・ナンドール・アートギャラリーの3地点を全て訪問したとの意味でした。大変に熱心なファンもいらっしゃるのだなぁと、スタッフともども胸が熱くなりました。

 しばらくすると女性がお一人、受付でお話すると、これが何と北海道・知床から車でいらっしゃったとか。岐阜でしたか、目的地に車で移動中に、独自で調べられて栃木県益子町のここのお寄り頂いたそうです、嬉しいですね。

 僅か1時間程の間に、様々なストーリーで訪問されたお客さまを見ていて、実に興味深く、数年前から明らかにすそ野が広がったこの場を実感しました。翌日、またその翌日も予約が続き、今もちよ理事長はじめスタッフも忙しくしていることと思います。

 この美術館は、展示物を見るだけでなく、DVD3本の上映、棟の間に椅子・テーブルもあり、お弁当を食べたり飲物・お菓子でくつろいだり、「滞在型?」美術館でリピーターも多く、面白いです。出版された「ドナウの叫び:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=459」の影響でしょうか、ワグナー・ちよさん、最近は「生ちよ」さんと呼ばれて大人気で、先日のハンガリーから帰国してすぐにこちらに張り付きで、元気いっぱいです。

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(2)

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 翌日、ルーマニアからハンガリー・ブダペストにマイクロバスで移動中、大平原のフン族の末裔が多く住む農村での一コマです。

大きな風車:ハンガリー西部の農村

大きな風車:ハンガリー東部の農村で

 ブダペストに到着して午後5時からは、ペトフィ文学博物館(http://www.pim.hu/object.1160b1a4-08c9-4ea9-bb65-1d30e97d1eb0.ivy)で、「『哲学の庭』建立10周年記念シンポジウム」が開催されました。在ブダペストの伊藤大使ご夫妻他200名の参加者があり、大変盛大な会となりました。ナジュバラドとこのフォーラムは、いずれもハンガリー・ブダペストを本拠に活動する「Academia Fumana Foundation」が主催しています。

 この様子は「在ハンガリー日本大使館・館員日誌:10月5日」に掲載されています(http://www.hu.emb-japan.go.jp/jpn/annai/diary1110.htm#1)。また、1年前のサイト(6月17日:http://www.hu.emb-japan.go.jp/jpn/annai/diary1006.htm)にも「哲学の庭」について掲載されています。

「哲学の庭」建立10周年記念フォーラムで

記念フォーラム壇上でご挨拶をされる伊藤哲雄・日本大使

 私は最前列に着席していて会場全体を撮影できず、雰囲気を伝えられないのが残念です。終了直後にやっと撮った一枚です。

満席の聴衆:終了直後の様子

満席の聴衆:終了直後の様子

 「哲学の庭」の彫像群は現在、ハンガリー・ブダペストのゲレルトの丘近く、東京都中野区の哲学堂公園、そしてワグナー・ナンドール記念財団の本拠地である栃木県益子町の3か所に置かれています。ナンドールは、「私は文化、宗教などの相違点よりも、各々の共通点を探しているのです。共通点を通してしかお互いに近づくことは出来ないのです」と、この彫像群のメッセージを語っていました。

 ブダペストにある彫像群は、数年前に3体が盗難に遭い、円形台座の一部も切断・持ち去られました。世界的な金属需要による盗難事件の一環と思われますが、地元・関係者のご尽力でその後修復・設置されました。ワグナー・ナンドールの人生同様、幾多の困難をも乗り越えて今日を迎えている、そんなお話も興味深かったです。

ワグナー・ナンドール記念財団のスタート

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  これまでこの欄に、「タオ財団」に関して何回か掲載して参りました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%BF%E3%82%AA%E8%B2%A1%E5%9B%A3)。

 一番直近の理事会・評議員会は、今年3月5日土曜日、大震災の直前でした。4月1日から「公益財団法人」格に移行し、名称も「公益財団法人 ワグナー・ナンドール記念財団:http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html」として、新たな展開が始まり、その第一回理事会が開催されました。

財団建物前の新しい看板

財団建物前の新しい看板

 今年の春の展覧会は、地震の影響で彫刻が数作品か倒れたために、「休館」となりました。たくさんの問い合わせのお電話も頂いたようですが、秋に向けての修復も進んでいますので楽しみです。

今年春の展示会は震災の影響で中止

今年春の展示会は震災の影響で中止

 益子・宇都宮市内・近郊では、建物等にも随分被害があったようですが、全てを夫婦で建設した財団建物は驚くほど壊れていません。ワグナー・ナンドールの設計哲学・リスクマネジメントを証明する結果となりました。大きな政変を自らの命を掛けて生きた人物のたくましさを、敷地内をちよ理事長と一緒に歩きながら、今回あらためて感じました。

 「私は文化、宗教などの相違点よりも、各々の共通点を探しているのです。

 共通点を通してしか、お互いに近づくことは出来ないのです。」

  『哲学の庭』  於 益子  ワグナー・ナンドール

「タオ財団」、最後の理事会・評議員会

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 (財)タオ世界文化発展研究所(http://wagnernandor.com/indexj.htm)は、私も常務理事を務めていますが、先日栃木県から「公益財団法人」への移行認定を受けて、今年4月1日から名称も変更し、「公益財団法人ワグナー・ナンドール記念財団」として、新たな展開が始まります。

 先日は、現財団として最後の理事会・評議員会が益子で開催されました。一昨年、東京都中野区・哲学堂公園に「哲学の庭」が設置となり(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2792)、昨年12月の「一周年記念フォーラム:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6768」、そして公益移行認定と、このところ大きな進化を遂げています。新しいDVD作品2枚、「妻が語るワグナー・ナンドールとその世界」、「違いを越えて世界を結ぶ~哲学の庭」も完成して、ますます活動も充実するでしょう。ご希望の方には販売もしていますので、益子の事務局にお問い合わせ下さい。

新しい紹介DVD作品2枚

新しい紹介DVD作品2枚、素晴らしい内容です!

 折からこの時期、地元益子町でも「雛めぐり・ストリートライヴ」が数か所で開催されて、3月の柔らかい日差しの中、マチも賑わって(?)いました。

益子町ではいくつかの場で「ストリートライブ」!

益子町ではいくつかの場で「ストリートライブ」!

 さらにJR東日本の東北新幹線では、この日から最高時速300kmの「はやぶさ:http://www.jreast.co.jp/e5/main.html」が走り始めたようです、1日2本ですから、目にすることは難しいですね。

JR東日本の新幹線駅では「はやぶさ」でもちきり

JR東日本の新幹線駅では「はやぶさ」でもちきり

 それぞれのプロジェクトが、それぞれの場所から新たなスタートを切っています。

「哲学の庭」、一周年記念フォーラム

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 先日東京で、「~中野区哲学堂公園:http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/504000/d005141.html『哲学の庭』建立一周年懇談会~」が実行委員会主催で開催されて、約100名の参加者で大変内容の濃いひと時でした。

中野サンプラザ会議室で100人の出席

ワグナー・ナンドール夫人ちよさんのご挨拶

 昨年12月、快晴の東京中野区・哲学堂公園での除幕式でした(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2792)が、早いものであれから丸一年が経ちました。

 一周年記念懇談会では、実行委員会会長の和久奈ちよさんの開会ご挨拶、続いて来賓挨拶では、1)中野区長:田中大輔さま、2)駐日ハンガリー共和国大使館(http://www.mfa.gov.hu/kulkepviselet/JP/jp/)文化担当官:アルベルト・ヤーノシュさま、外務省(http://www.mofa.go.jp/mofaj/)欧州局中東欧課長:河津邦彦さま、東洋大学(http://www.toyo.ac.jp/)学長:竹村牧男さま、にそれぞれ素晴らしいお言葉を頂きました。

 田中さまは今年の夏に、ハンガリー・ブダペストのゲレルトの丘に建つもう一つの「哲学の庭」を訪問し、当日その「訪問記」をまとめられて参加者が受け取りました、歴史を踏まえた大変優れた紀行文でした。

 アルベルト・ヤーノシュさまは、ボハール・エルヌー駐日ハンガリー大使からの祝辞を述べて頂きました。ハンガリー共和国から中野区へ、日本・ハンガリー外交開設140周年・国交回復50周年記念事業として、贈り物としての意義を熱く語りました。

 河津さまは、同じく日本とハンガリーとの歴史の長い外交関係に言及されて、今後の発展に期待する旨のお言葉を述べられました。

 牧村さまは、東洋大学の創始者・井上円了の哲学と哲学堂公園の由来を懐深く語られ、最後は新年早々に開催される「箱根駅伝:http://www.hakone-ekiden.jp/」での3連覇への抱負を語られ、会場はドッと沸きました。

 続いて年明け1月に完成するDVD「哲学の庭」の放映でした。作品の紹介ばかりでなく、ハンガリーにも撮影に行き、これまでに関係の深い方々へのインタビューを通して、ワグナー・ナンドールの哲学、作品に賭ける思いも理解できました。ゆっくり流れる音楽、作品群のコンセプトも含めて、完成が楽しみです。

 ハンガリーでワグナー・ナンドールの作品保全活動を行っている財団のキッシュ・シャンドール(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6371)理事長のメッセージも紹介されました。

 最後は、特別講演「哲学の庭から、これからを考える」と題して、東京農業大学(http://www.nodai.ac.jp/)名誉教授・前学長の進士(しんじ)五十八先生のお話で、日本の文化を「柿の実と色」と表現されました。今年のCOP10の様子もご紹介があり、「環境持続性」は、「自然的環境:生物多様性」、「社会的環境:生活多様性」、「文化的環境:景観多様性」と説明され、更に、「農業は文化」、「『Civilization』とは野蛮からの脱却という意味」、「観光とは『地域が地域らしく』あること」であり、そのアウトプットが「景観:ランドスケープ」であると。講演では、箱根駅伝には東京農業大学も参加している旨応援宜しくとも付け加えられて、一堂、大爆笑でした。

 主催者の一員ではありますが、何とも「知的な」、「教養に満ちた」素晴らしいひと時でした。是非、東京都中野区の哲学堂公園に一度足をお運びになり、ゆったりした時間を過ごされることをお薦め致します。

「哲学の庭」彫刻群、除幕式

Posted by 秋山孝二
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  「日本・ハンガリー外交関係開設140周年・国交回復50周年記念」として、ワグナー・ナンドール作彫刻群「哲学の庭」が、ハンガリー国から東京都中野区に寄贈されましたhttp://wagnernandor.com/indexj.htm。彼については、月刊誌「世界」最新号、寺島実郎さんの連載・「能力のレッスン:http://www.nissoken.jp/hatugen/kiji20091201.html」にも記載されています。

 4日、真っ青な空の下、中野区哲学堂公園で除幕式典と祝賀パーティーが開催されました。ワグナー・ナンドールのアトリエ・作品管理のタオ財団の理事も務めている関係で、私は出席しました。これまで関わられた関係者の皆さんのご努力に、心から感謝致します。

 テープカットは在日ハンガリー大使館ボジック・ベーラ参事官・副大使、海部外務省東欧課長、田中中野区長、和久奈ちよ・タオ財団理事長他により行われました。広い空間に世界平和を願う11の彫刻作品群が3つの輪を創り、独特の空間を醸し出していました。

テープカット

テープカット

  式典で語られた幾つかのお話で、特に印象的だったのはハンガリー国を代表してのボジック参事官のご挨拶でした。ワグナー・ナンドールの生涯は、ハンガリー国の民主化の歴史、そして日本とハンガリーとの友好の歴史でもあると、力あるメッセージでした。

 またちよ理事長からは、ナンドールの作品が天皇即位20周年の記念すべき年に、この日本の首都・東京に設置されたことに感慨もひとしおである旨が語られ、しばし言葉に詰まる程感激の様子でした。

ハンガリー国代表のご挨拶

ハンガリー国代表のご挨拶

大統領からの親書も披露されて

大統領からの親書も披露されて

  中野サンプラザに場所を移しての祝賀会では、ハンガリー大統領の親書も披露されて、この両国間の記念すべき年の彫刻群の設置に花を添えました。東京藝術大学・宮田学長他アカデミックセクターの重鎮、地元中野区のご来賓等、沢山の方々のご出席で盛大な祝賀の宴となりました。

 この席でボジック参事官は、ハンガリー・ブダペストのゲレルトの丘に2001年設置された「哲学の庭」と、今回2009年中野区哲学堂公園に設置された「哲学の庭」との違いについて、一つの視座を示されました。ブダペストの彫刻群は丘の上から無限の空に向かう祈りを示し、日本のこれらは梅林・さくらの木々の中で調和を意味する、彫刻家であり同時に思想家であったワグナー・ナンドールのメッセージを両国民は受け止める場を得て、更に世界に向かっての使命を確認する機会を得たと、そんな内容であったかと思います。

 いずれにせよ、日本よりも思想・メッセージ性の強い芸術作品から、私は固有の重い・価値ある「歴史」を感じました。今回の設置により、ブダペスト・益子・東京の三極からワグナー・ナンドールの哲学を通して、これら彫刻群は世界平和の実現に向けたメッセージを発信し続けることでしょう。

 素晴らしい式典・祝賀会でした!!!

 そして、今日から一般公開でした。

3つの輪

3つの輪

一つの命と地球をみつめて

一つの命と地球をみつめて

正面奥は聖徳太子像

正面奥は聖徳太子像

別の入口から望む
別の入口から望む

 区民と思われる見学者が、彫刻群と写真を撮る姿があちこちで見うけられました。平和な光景でした。

ナンドール展、さくら市ミュージアムで

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  ワグナー・ナンドール展が、栃木県さくら市ミュージアムhttp://www.city.tochigi-sakura.lg.jp/sakuracitymuseum.htmlで開催されています。栃木県益子町にあるワグナー・ナンドール・アートギャラリーhttp://wagnernandor.com/indexj.htmでは恒例の秋季展示会も同時に開催中です。

エントランス

さくら市ミュージアム・エントランス

 宇都宮からJRで15分、氏家駅近くの勝山公園内で素晴らしい環境の中、彫刻・水彩画・テラコッタ等の展示が豊富にされています。簡潔にまとめたナンドールの生涯は、大変分かりやすく理解できます。訪問者名簿にも沢山の方々が記名されていました。もともと地元出身の日本画家・荒井寛方(あらいかんぽう)氏のメモリアルミュージアムですので、地元の歴史と一緒に、今回日本に帰化して栃木県に骨を埋めたワグナー・ナンドールの展示会は、新しい価値を双方に創造した気がします。
 芸術家として学び、戦ったハンガリー・ブダペストの丘にも、彼の作品「哲学の庭」作品群が近年設置されて、その価値の再評価が進んでいます。

ハンガリー・ブダペストで

ハンガリー・ブダペストで

  今年12月には、ハンガリーと日本の友好50周年を記念して、東京都中野区の哲学堂公園http://www.tetsugakudo.jp/top.htmにも「哲学の庭」作品群が設置されると聞いています。作品の持つメッセージと説得力に圧倒されます。日本とハンガリーとの懸け橋として、彼の生涯は更に重要な価値をもたらしました。同時に札幌出身の妻のワグナー・ちよにより、彼の作品は今もしっかり守られて多くの方々に更に感動を与えています。そしてハンガリーと札幌と益子のネットワークも拡がることを期待したいです。

 東京への帰り道、宇都宮で乗り継ぎに少々時間があり、夕方でしたが餃子屋2軒に寄りました。

外せませんね

外せませんね

愛生舘の「こころ」 (2)

Posted by 秋山孝二
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 明治維新の歴史認識にも関係しますが、「愛生舘事業」の歴史的背景は、ある意味で現在の状況と大変似ているのではないかと思います。

先日、長年の私の友人からメールを貰いました。

―――明治維新は、厳密な意味ではフランスやロシヤみたいに迫害された民衆が自ら闘って自由を勝ち得た”革命”ではありませんでした。あくまでも政治の面で捉えれば、単に江戸幕府衰退と共に雄藩が政権を握ったに過ぎません。

 開拓期、そうした薩長土肥の藩閥政府が横行する初期、民衆に医療・公衆衛生を持ち込んだ松本良順や高松保郎の思想の源流、その彼らを中心とする「愛生舘事業」の実践は、ある意味では、すなわち必ずしも新時代の変革は「政治」の舞台だけではないという意味で、後年、藩閥に反発して立ち上がる自由民権運動よりも更に先んじた自由平等主義の実践者たちであったろうと思われるのです。老若男女が心身共に病むこの21世紀の日本が失った、取り戻さなけれなばならないエスプリが、愛生舘のルーツに秘められている気がしてなりません。それは蘭学が内包する”博愛”とか”弱者救済”精神に基づいた学問・技術・文化などが、質実的な面で明治時代の民衆を支えたと言えます。政治の暗闇に光を当てたのではないでしょうか。近代への道は決して政治力だけではなかったはずです。

 黒船来航に伴い幕府が設立した長崎伝習所、勝海舟や松本良順はじめ、幕末のインテリが学んだ”蘭学”に内包する哲学は、タオ財団のワグナー氏の言葉「それぞれ民族の違いの主張ではなく、いかなる共通点を探し求めるか」とする、作品「哲学の庭」に通ずるテーマと言えるでしょう。貴兄の言葉通り「いのち」とは平和そのもの、世界共通語であります故、「人類愛」を意味するキーワードでもあります。

 (注)タオ財団http://wagnernandor.com/indexj.htm  ――――

衛生書「通俗民間療法」(左)、大鏡(右:高さ1.5m)

衛生書「通俗民間療法」(左)、大鏡(右:高さ1.5m)

 

 

 全国的な愛生舘事業の中で、特に北海道支部のミッションは、北海道開拓を担う屯田兵の後方支援、及び全国から入植してきた開拓移民の健康維持・向上でした。1891(明治24)年、東京神田の館主・高松保郎亡き後は、北海道支部長だった初代秋山康之進が自らの名前を掲げて自立し、「秋山愛生舘」となりました。愛生舘事業の理念は、自社販売していた「通俗民間治療法」の中に明確に示されています。「山間僻地までの医薬品供給、医師の診療を受けられない病人の救済、貧者・弱者への施薬、すなわち、利益追求ではなく、あくまでも民間の衛生・治療の便益を図る事を最優先にする」、それが事業の目的であると書かれています。この理念を継承し地場企業として、秋山愛生舘は北海道の地を基盤に、第二次世界大戦後1948(昭和23)年には株式会社として法人化し、私は1991(平成3年)6月に第五代目社長に就任し、1992(平成4)年には札幌証券取引所上場、1997(平成9)年に東京証券取引所市場第二部上場となりました。その後、(株)スズケンhttp://www.suzuken.co.jp/ と資本・業務提携を経て合併し、北海道は「愛生舘営業部」として、今も活動しています。

私は2002(平成14)年11月に(株)スズケン代表取締役副社長を退任しました。その後、故郷札幌に戻り、これまでの(株)秋山愛生舘の108年の活動を振り返り、持続する企業として3本の論文にまとめました。

「地域企業の持続的経営の分析」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004813846以下、「地域企業の進化の分析」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004813848/、「持続的経営論」http://ci.nii.ac.jp/naid/110006392571/と続きます。

一方、(株)秋山愛生舘の100周年事業の一環として、それに先立つ1987(昭和62)年1月に「(財)秋山記念生命科学振興財団」を設立しました。http://www.akiyama-foundation.org/ 「地域社会への貢献」という理念の実現は、医薬品販売の事業から更に発展して、愛生舘事業の理念を根幹に、財団の助成・育成事業として継承・進化しています。

出版された、「ドナウの叫び」

Posted by 秋山孝二
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 下村徹著「ドナウの叫びhttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4344015908.html」 が昨年11月25日に出版されました。

2008年11月8日のこの欄に、「日本に帰化した芸術家、ワグナー・ナンドール」と題して私の叔父を紹介致しましたが、昨年末に彼の人生をたどったワグナー・ナンドール物語が出版されました。芸術家というと日本では、社会的には芸術・文化の世界を担う、或いは教育界で活躍する人々というような、ある限定されたイメージを持つのは私一人ではないと思います。しかしながら、ワグナー・ナンドールは、二度の敗戦、冷戦、動乱(革命)、政治犯としての指名手配等、時代の荒波に翻弄されながらも、希望を捨てず主体的にたくましく生きました。そして日本の武士道精神と出会い、日本人ちよと巡り合い、日本に帰化して、栃木県益子町でアトリエを構えて創作活動を続けた波乱万丈の人でした。

http://wagnernandor.com/indexj.htm  、http://kankou.4-seasons.jp/asobu/509.shtml

私はこれまでハンガリーには2回程行った事があります。最初は、この本にも登場するテーケシュ氏が中心となって、ナンドールの生まれ故郷ナジュバラド(現在はルーマニア領で名称もオラディア)で開催されたシンポジウムに参加の為に、もう一回は北海道演劇財団のハンガリー公演の同行でした。http://www.h-paf.ne.jp/ 今年の秋、3回目が実現するかもしれません。

ある時に、現在ハンガリーに設立されているワグナー・ナンドール財団の理事長から、日本ではどうしてハンガリー「動乱」と言うのでしょうね、と問われました。「動乱」とは辞書によると、世の中が騒がしく乱れること、と何の事かよく分かりませんね。彼は、1956年の出来事は明確にハンガリー「革命」ではないか、との主張でした。私は、日本の教科書では昔も今も確かに「ハンガリー動乱」であり、ハンガリー政府への配慮のつもりなのではありませんか、と曖昧に答えました。そうすると、「ハンガリー共産党政権は、1989年に崩壊しているのですよ」と更なる言及でした。

日本の教科書の歴史記述には、幾つか意図的な言い換えがありますね。最近では沖縄戦における日本軍の関与について、無かった事にさえなってしまいますので、要注意です。特に立場の違いによる戦いの歴史の記述では、「闘争」が「紛争」になったり、「革命」が「事件」となったりです。在った歴史事実を削除するのは論外としても、事実に基づいて時代とともに表現が変わる事(再評価)はあってもよいのではないか、と思います。

芸術分野も同じかも知れません。周辺諸国も含めたハンガリーにおいて、この10数年来ワグナー・ナンドールとその作品の再評価のうねりが高まっていて、実際に幾つかの街で彼の作品が広場・公園に新たな設置が始まっています。ブダペスト市内のゲレルトの丘に建てられた「哲学の庭」も、その一つです。ヨーロッパにおいては、日本に比べて彫刻作品は強いメッセージ性を持っていて、時代の評価も実に激しいものがあります。4年前のナジュバラドでのシンポも、ルーマニアの政変後に実現したイベントでしたし、開催前日にブダペストからマイクロバスでの5時間程の陸路で、途中途中で昔の同志をピックアップして乗せていく様子、ルーマニア国境を越える時の緊張感は、まるで映画の雰囲気でした。ソビエト崩壊による東欧の激変を実感しました。

広場に建つ彫刻作品は、民衆の心の支えだったり、運動のシンボルだったりする場合が多いですね。芸術家がそれだけ社会との関わりの中で重要な位置づけであり、それ故に迫害とか追放といった権力からの攻撃の的にもなってきたのでしょう。この本にも記述されていますが、ハンガリー動乱のリーダー達のその後の人生で、交通事故等の不慮の事故で亡くなる確率が異常に高いとか、何か言い知れない闇の世界を感じさせます。日本では、直近の戦争といえば第2次世界大戦ですが、そんな国は世界の中で実に数少ない恵まれた国なのかも知れません。