私の【戦後80年談話】(6:最終)

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 今年8月にまとめて第5話まで書き記した「私の【戦後80年談話】」、年の瀬に最終回をアップします。

* これまでの関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

 私自身の国際社会との関わりはアメリカ、アメリカ人を通じてで始まりましたが、教師時代は超国内仕様で張り付き、海外のその他の国々との関係は比較的新しい社会人の時期からではありますが、数多く足を運びました。アジアでは医薬品メーカー関連でオーストラリア・インドネシア・ベトナム・中国、演劇関連で韓国、金融関係でシンガポール・香港です。そして次いでヨーロッパの各国、こちらも医薬品メーカー関連でドイツ・イギリス・フランス・スイス、姉妹都市関係でロシア(モスクワ、サンクトペテルブルク、ノボシビルスク)、その後、金融関係でスイス・リヒテンシュタイン、芸術関係でハンガリー、チェコ、ポーランド、ルーマニアです。他には農業指導活動に帯同してアフリカに一度、振り返ってみると台湾、イタリア、スペイン、ポルトガル、中東、南アメリカにはこれまで一度も足を運んだことがありません。そうそう、アメリカで忘れていたのがアラスカですね、キングサーモン他の釣りツアーでした、アメリカの回で関連記事に掲載しています。

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* 韓国ーーー> 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 今こそ、日韓交流は「民」の出番!

* 北朝鮮ーーー> 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 非武装地帯、さらに「北」への道

 ヨーロッパ各国を訪問して学んだことは一つはアメリカへの視座でしょうか、これまでの戦争・内乱に絡みアメリカからの支援に裏切られてきた歴史から起因するのか、絶妙な「距離感」を保ち続けている状況です。今、アメリカ・トランプ政権でその距離感がNATOを軸に揺さぶられている感は否めませんが、スイスの「安全」の立ち位置は揺るがない中立国としての落ち着きを感じます。また、シリア、ウクライナに起因する「難民問題」では、私たち日本で日頃目にするメディア報道とはかなり違った各国それぞれの事情によっての対処も理解できます。数年前からのロシアによるウクライナ侵攻に対しては、エネルギー依存度によって指導者の立ち位置は必然的に変わっていきますね、例えばハンガリーなどは。

 もう一つは各国それぞれの国の成り立ち・歴史を地道に継承している姿です。小さな国がせめぎ合って独立国として存在し続けているためには、確固たる歴史認識を教育の中でしっかり継承し、揺るぎないアイデンティティを確立していること、芸術・文化・食事等の日々の暮らしの中でごく自然に伝えてきている気がします。

 「戦後80年」と言えば、同時に「昭和100年」の今年、若い世代と話をしていると、時々「昭和のオトコだ!」という言葉を耳にしました。最初は衝撃でしたが、今は「令和」、思い返すと今を生きる世代からみると二つ前の和暦は「昭和」、昭和に生きた私たちの世代からみると「明治の爺サン」と同じような印象なのでしょうね、よく「明治は遠くなりにけり!」なんて言ってたものです。

 昨今の円安で、国内では食料品を筆頭に値上がりが大変ですが、海外への渡航費も驚くほど高騰していて出張も少し躊躇してしまいがち、でも来年以降も機会を見つけて出かけてみたいですね。

私の「平成」30年

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 本日の映像系マスメディアは朝から特集番組のオンパレードで騒々しく、10連休中で行楽ニュース以外は一休みのためか、もう結構といった気分です。

 「平成(へいせい)」は、「大化」以降247番目の元号。今上天皇の在位期間である1989年(平成元年)1月8日から2019年(平成31年)4月30日(本日)までです。

 世間では、昭和と比べて「戦争がなかった平和な時代」とか言っていますが、私にとって「平成」は、まさに激動の30年と総括します。1989年はベルリンの壁崩壊の年、私は(株)秋山愛生舘の代表取締役専務として、2年後に控えた創業100周年に向けて様々なプロジェクトの責任を担っていて、仕事に没頭している時でした。プライベートでは、この年の6月に4番目の子供が生まれました。今、その子も結婚して昨年12月に生まれた娘一人の父親として、精神科医師で活躍しています。上3人の子供たちはこの間それぞれ結婚して子供にも恵まれ、今では私は10人のお爺ちゃんです。1997年には伯母の秋山喜代が、2007年には父の秋山宏が、2014年には兄の秋山一男が亡くなりました、まさに世代交代そのものですね。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=21621

 その後、会社は札幌証券取引所に新規上場、5年後には東京証券取引所市場二部に上場し、その間に(株)スズケンとの資本・業務提携、さらに1998年に合併しました。資金調達を巡って、スイスフラン建てワラント債を発行しに、スイス・チューリッヒでの調印式は、以後の私にとっても忘れられない思い出の場となりました。今、秋山財団の資金運用のノウハウは、この時からの蓄積によるもので、この時から出会った海外の金融機関の方々からたくさんのアドバイスも頂いています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35182

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92

 私個人としては、38歳から68歳の30年、とにかく仕事に没頭して邁進していた時期といえるでしょうね。100年の歴史を持つ企業の将来の方向性を定め、新しい秋山財団という組織の立ち上げから基礎創りに関わり、今の最大の課題は、本当の意味での「北海道という地域への貢献」です。同世代の方々とは違った稀有な立場での経験は、私一人のものとして思い出にしまい込むことなく、この間お世話になった多くの人々への恩返しのためにも、これからの私の使命として活動を続けていく必要があると考えています。

 私の気に入っているフレーズ、生まれた年1951年は「20世紀のど真ん中!」、元号の括り以上に、私自身は20世紀と21世紀の懸け橋になりたい、そんな思いを強くしてここまで生きてきました。

* http://kamuimintara.net/detail.php?rskey=143200809t01

 今、やり掛けのプロジェクト、そして持続可能な活動として次世代につないでいく仕事、私の残りの人生はそんなことに尽力したいと思っています!最期の瞬間目を閉じる時、「悔いなし」と言える人生でありたいな、と。

 「平成」最後の日に、再度、私は決意を新たにします!

京都、岡山 & 倉敷の秋 2015

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 10月は全国各地で行事がいっぱい、そんな中で京都、岡山、倉敷と用事があり、駆け足でしたが巡りました。

 まずは、今年で3年目とのこと。スイス式機械時計メーカー「フランクミューラー社(http://www.franckmuller-japan.com/」の京都での展示会です。フランク・ミューラー社長に直接お会いしてのお願い事がありましたので。

* http://www.franckmuller-japan.com/wphhjapon2015inkyoto/

フランクミューラー恒例の展示会

フランクミューラー恒例の展示会

丁度、会場にいらっしゃったフランク・ミューラー社長と

丁度、会場にいらっしゃったフランク・ミューラー社長と

 そこから岡山に移動し、「山田養蜂場・本社(http://www.3838.com/kenko/」を訪問しました。こちらでもお願い事があり、広報室のご担当の方と意見交換を致しました。ミツバチと密接なお仕事なので、1990年代から太陽光発電に先駆的に取り組まれ、工場敷地内施設はパネルでいっぱいでした。また、芸術・文化の推進活動も熱心に続けられて、北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/)とも「富良野塾」の岡山県公演で永くお世話になっておりましたし、向うからも感謝されました。理念を高く掲げられての経営の一端を知り、あらためて企業の社会貢献活動の重要性を学びました。

山田養蜂場の敷地全般に太陽光パネルが!

山田養蜂場の敷地全般に太陽光パネルが!

自家発電で敷地街灯の電気を賄っています

自家発電で敷地街灯の電気を賄っています

 最終は倉敷での毎年恒例の研究会出席です。開始前に少し時間があったので古い街並みを散策し、大原美術館(http://www.ohara.or.jp/201001/jp/index.html)にも足を運びました。大原美術館については、今年8月に大原理事長のお話を今年札幌で伺っていましたので、よい機会でした。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24058

夕暮れの倉敷

夕暮れの倉敷

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第13回 社会福祉・医療事業の経営研究セミナー

『医療介護総合確保を考える』

主 催: 一般財団法人 社会福祉・医療事業の経営研究会

後 援: 東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻保健社会行動学分野

静岡県立大学大学院経営情報イノベーション研究科附属医療経営研究センター

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倉敷市中庄駅前の「川崎医科大学」、「川崎医療・福祉大学」でのフォーラム

倉敷市中庄駅前の「川崎医科大学」、「川崎医療・福祉大学」でのフォーラム

<セミナープログラム>

平成 27年 10月 24日(土) 川崎医療福祉大学講義棟にて

13:30~13:45 開会の辞

13:45~15:00 「第6次医療制度改革/医療介護総合確保推進までの経緯と今後」

西田在賢 (静岡県立大学大学院附属医療経営研究センター長)

15:00~15:15 < 休 憩 >

15:15~16:25 パネルディスカッション

「医療介護総合確保/地域のガバナンスを考える」

ファシリテーター 橋本英樹(東京大学大学院医学研究科教授)

パネリスト 西田在賢、遠藤邦夫(矢野経済研究所首席研究員)

岡山の医療関係者の方々ほか

16:25~16:30 閉会の辞 角田愛次郎 (一般財団法人 社会福祉・医療事業の経営研究会理事長)

この企画の意図は以下の通りです。~~~~~~~~~~~~~~~~~

 わが国の医療制度改革が本格的に始まったのは1980年代半ばであるから早や30年が経過した。改革の中身を一言でいえば、増え続ける医療保障財政をいかに持続するかに尽きる。保険料であれ、公費であれ、それらをプールした医療保障の資金と医療提供の費用のバランスをどう採るかの医療制度改革は続く。第3次改革にあたる1997年に介護保険制度の法案が国会を通過し、2000年度から同制度が始まったが、このとき高齢者医療費を部分的に医療保険制度から介護保険制度に肩代わりさせ、医療保険財政を持続させ得た。その介護保険の費用支出もどんどんと増え続けている。そして、2006年に第5次となる医療制度改革に際して、2002年度以来2度目となる診療報酬のマイナス改定を行なうことで国民医療費の伸びを抑えたものの、その後は今日に至るまで高い伸びが続き、大掛かりな医療制度改革の実施は必定であった。そこへ昨2014年に「医療・介護総合確保推進法」が公布・施行された。これが第6次医療制度改革の目印となろう。

 介護保険制度開始のカラクリが教えるように、医療と介護は元々分けて扱われる必然性はない。本セミナーを企画開催してきたメンバーの一人である西田在賢は介護保険制度が始まった当時、川崎医療福祉大学に勤め、2001年に上梓した『医療・福祉の経営学』(薬事日報社)の前編「医療・福祉の経営原理」のプロローグに次のように記していた。「わが国の医療や介護の制度が諸外国のそれと同じにできるとはいえない。最近の経済研究が教えることのひとつに経路依存性(path dependence)という言葉があるが、これは現在の制度や市場などが『歴史的な経路』によって規定されていることを意味する。だから、たとえば医療や介護については日本だけでなく、米国にも、英・仏・独等の欧州にも同様なシステムや制度が存在するが、しかし、国民性を反映して、国によって制度は異なっており、それぞれに特有の運営を行っていることが説明される。(中略)このような限定合理性や経路依存性の考え方を了解すれば、日本が他の国々と較べて医療や介護のシステムに対するアプローチが違うのは、社会認識上の習慣や思考の上での習慣、そして支配的な物事の在り方や法律などの制度に関わる違いのゆえであると説明される。(中略)そのような基本的な理解のもとで、今後、急速に進むであろう医療や介護の保険制度改革の必然性を捕らえておくことも、関係する事業経営者にとって重要となるはずである。」

 じつのところわが国は、介護保険制度以前は介護を福祉として扱っており、介護措置は行政の仕事であり税で賄うものだと説明してきたところを、社会保険で賄うとともに介護保険から給付を受けるのは保険加入者の権利だと解釈を変え、介護サービスの提供者も利用者も頭の切り替えを迫られて混乱した。一方で米国などではヘルスケアというひとつの概念で医療と介護を扱うのを見てきた西田は、わが国の将来において医療保険制度と介護保険制度の合流は不可避だと診ていたが、どのような経路を辿ってそこに到達するかについては皆目検討がつかずにいた。ところが、このたび医療介護総合確保推進法案と総称される各種の法令が出たので、これを機会にこれまでの経緯を整理する。そして、先年からの地域包括ケア体制や今年度から進む地域医療構想と病床機能整理の課題を念頭に今後の医療介護の事業経営の参考となるパネルディスカッションを行いたい。ファシリテーターは、昨年度から大きな話題となっている非営利ホールディングカンパニー医療法人の厚労省検討委員会委員を務めた橋本英樹が担当する。

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 新しい制度の創設は様々な議論をもとに行われますが、できた制度を育て進化させることはそれ以上に困難な作業だとつくづく思いますね、利害関係者が大幅に増え、議論を大所高所からまとめていくリーダーシップが求められる、そんな印象を持ちます、これも少子高齢化の日本社会、パラダイムシフトの試練なのでしょう。

遠友夜学校記念館、「チ・カ・ホ展示」終了!

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 今、「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」を中心として、札幌市中央区南4条東4丁目の「夜学校跡地」に、記念館建設の計画が盛り上がりつつあります。

 これまでにこの件については、いろいろ書いてきました:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E9%81%A0%E5%8F%8B%E5%A4%9C%E5%AD%A6%E6%A0%A1

先月、5月27・28・29日の三日間、札幌市の「地下歩行空間(チ・カ・ホ)」で、概要設計に応募して頂いた50点(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=19168)の中から、ご本人の承諾を得た27作品を展示して、広く道民の方々の眼に触れる場となりました。

<川口弘高さん撮影>

立ち止まってじっくり読む方が多かったです!

立ち止まってじっくり読む方が多かったです!(運営委員のBruce Darlingさん撮影)

 私自身は、スイス出張と重なり、この企画を殆ど担えなかったのですが、副会長の高橋大作さんはじめ、三上節子さん、橋本信夫さんほか「考える会」運営委員の皆さんのご尽力により、外国のお客さまも含めて大きな反響だったようです。

 ちなみに、この応募の中から来年の工事着工、再来年の完成の案に決まったのは、こちらの作品です。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=19508

 さらに続いて、今月14日午後2時半から、札幌市のエルプラザ3階ホールで、「札幌遠友夜学校創立120周年記念フォーラム」を開催する予定です。在札幌米国総領事館のジョエリン・ゴーグ首席領事も冒頭ご挨拶にいらっしゃる予定で、多くの方々にお集まり頂けると嬉しいですね。

本年度の活動予定は、下記の通りです。~~~~~~~~~~~~~

* 交流会 <426日終了>

チ・カ・ホ展示会
5272829場所:大通地下空間 <終了

* 記念フォーラム 後援:札幌市・札幌市教育委員会

614日(土 14:3016:30 場所:札幌エルプラザ

* 記念講演会 札幌市資料館主催考える会」協賛

622日(日 13:30 場所:札幌市資料館2 研修室

* 「再興塾」キックオフ講演会

812日(火) 18:30~ 時計台2Fホール

* 作文・論文コンクール

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 今後の一番の課題は、この建設資金1億7000万円の寄附を幅広い企業・市民の皆さんのご理解を得て集めることです。新渡戸稲造夫妻の遠友夜学校設立の理念を、21世紀的にこの札幌の発祥の地からどう具現化し、発信していくのか、まさに札幌市民の底力が試されているのだと思います。

スイス in 2014 (8 最終)

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 まだまだ掲載したい話題はたくさんありますが、エンドレスと成りかねないので以下を書き留めて最後にします。

 まずは、新渡戸稲造の国際社会で特筆すべきは、国際連盟事務次長としての活躍だと思います。数回前の「スイス in 2014 (5)(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=20133)」でも書きましたが、領土問題の対処で、彼が導いた「オーランド裁定」は、これまでの国際連盟、国際連合を通じて、トップレベルの活躍であることを再確認できたことは大きな収穫でした。

 そして、「国際連合」と日本で訳されている「United Nations」という名称が、まさに第二次世界大戦戦勝国(連合国)によって構築された枠組みであることもあらためて確認しましたね、日本は第一次世界大戦後の枠組み・国際連盟での立ち位置との違いをしっかり認識して国際連合と向き合わなければ、大きな間違いを起こすような気がします、特に中国との関係において。

 もう一つは、現在のEU(欧州連合)等について、今回昼食をともにしながら、現地に住む方のお話も聞くことができました。折から5年に一度の欧州議会選挙の結果がつい数日前に明らかになり、極右政党をはじめとしたEU自体に対する懐疑派が25%を越える大躍進したことへの危機感を強めていました。特に、フランスでのマリーヌ・ルペン党首の極右政党(FN)、ギリシャ、イギリス、デンマークでのUN懐疑派の大躍進は、スイス金融業界の方にとっては、不安要素としてかなり警戒感が強かったですね、ドイツのメルケル首相に関しての信頼は厚いものがありましたが。

 ギリシャ、スペイン、イタリア等の財政状況の改善が一段落して、EU諸国にも落ち着きが出てきていた昨今、この選挙結果が今後の国際金融情勢にどう影響を及ぼすのか、引き続き目を離せない状況と感じました。

スイス in 2014 (7)

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<ローザンヌ、ジュネーブ市街編>

 ローザンヌのレマン湖畔にある「オリンピック博物館(http://www.olympic.org/museum」は、昨年12月からリニューアルオープンしました。門から石段の一つ一つに、これまでの夏・冬五輪開催地の名前が刻まれています。玄関前には、走高跳の世界新記録の高さにバーが設定されて、そこをくぐっての入館でした。

 展示は、競技自体の記録よりも、オリンピックの歴史に始まり、各大会の選手村、試合前後の食事・カロリー等、幅広い視点から成り立っていました。

玄関前には走り高跳びの世界記録のバーが設置

玄関前には走り高跳びの世界記録のバーが設置

 
 一方、ジュネーブ市内では、ジャン・ジャック・ルソーが目に付きます。教育を志した者として、彼の著書「エミール」はまさに入門書みたいな存在でしたから。

ジャン・ジャック・ルソーの坐像

ジャン・ジャック・ルソーの坐像

旧市街:ジャン・ジャック・ルソーの生家

旧市街:ジャン・ジャック・ルソーの生家

 旧市街の中心には、12世紀から13世紀に建設された「サン・ピエール大聖堂」が存在感を示していました。宗教改革の中心人物・カルヴァンは16世紀の25年間、この聖堂でプロテスタンティズムの説教を続けたそうです。5スイスフランを払って尖塔のラセン階段を一気に上りと、レマン湖と市街が眺望できました。下り階段を下りて少し歩くと、何とも情けないことに足がつった感じがしました、こんな所で体力の衰えに気づくとは・・・・。

 聖堂内のパイプオルガンの音色も素晴らしい響きで、心が洗われました。

旧市街:大聖堂のパイプオルガン

旧市街:サン・ピエール大聖堂のパイプオルガン

スイス in 2014 (6)

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<山岳地帯編>

 スイス山岳地帯・グリンデルワルド、アイガー・モンク・ユングフラウヨッホの迫る山並み、日の出前のアイガー北壁はまさに幻想的・神秘的です。

日の出前のアイガー北壁は神々しく威風堂々

日の出前のアイガー北壁は神々しく威風堂々

トップ・オブ・ヨーロッパから南を望む:大氷河が続きます

トップ・オブ・ヨーロッパから南を望む:続く大氷河

シルトホンからの大パノラマ:山並みの迫力

シルトホルンからの大パノラマ:山並みの迫力

スイス in 2014 (5)

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<国際連盟事務次長として活躍の時代編>

 新渡戸稲造がここジュネーブで国際連盟事務次長を務めていたことは、当時の国際社会において、日本国民として誇りとすべきことですが、昨今その功績自体を認識している方々が極めて少なく残念に思っています。ただ歴史の流れ的には、彼が事務次長を7年間で退任して間もなく、日本は国際連盟を脱退し、国際社会から孤立して戦争への道を突き進むことになります。 現在も国際連合ヨーロッパ本部の機能は、実質的には国連(UN)の機能の7割であり、それがジュネーブに集約されています。国際連盟時代から換算すると、世界の平和・安全をつかさどる機関としての場の力を歴史に刻んでいました。まさに、「場が放つメッセージ」でした。

国際連合(UN)・ヨーロッパ本部正面

国際連合(UN)・ヨーロッパ本部正面

 約1時間の内部ツアーで、領土問題解決として歴史的にも成功した事例として「オーランド裁定」をガイドの職員はその模様を描いた絵画の前で説明しました。残念ながら説明の中にはその中心的人物の「新渡戸稲造・事務次長」の名前は出てきませんでしたが、私は誇り高かったですね。

新渡戸稲造・事務局次長時代の「オーランド裁定」を誇らしげに説明する国連職員

新渡戸稲造・事務次長時代の「オーランド裁定」を誇らしげに説明する国連職員

 ご存じのように、オーランド諸島は、バルト海、ボスニア湾の入り口に位置するフィンランドの自治領の島々で、住民のほとんどはスウェーデン語を話します。フィンランドは、ロシアから分離独立しましたが、その際に、スウェーデンとフィンランドの間のバルト海にあるオーランドは、スウェーデン語を話す住民がほとんどであることから、1921年、オーランド諸島がスウェーデンに属するのか、フィンランドに属するのかで両国の間に紛争が起きました。  時の国際連盟事務次長の新渡戸稲造が、この紛争を「新渡戸裁定」をもって収めたのです。オーランド諸島はフィンランドに属しますが、公用語はスウェーデン語とし、フィンランドの軍隊の駐留は認めず自治領とする、粘り強い交渉を続けてこの裁定で合意をしました、日本的にいえば、「大岡裁き」でしょうか。  このジュネーブのヨーロッパ本部敷地内には数多くの会議場があります。その中の大会議場の一つは、天井のデザインもグローバルでユニークでした。

5か国語同時通訳機能を備えて大会議室、天井にも注目!

5か国語同時通訳機能を備えて大会議室、天井にも注目!

 さらに別棟の会議場は、第二次世界大戦後の朝鮮戦争をはじめとした数々戦争の停戦協定を議論し、締結した場所でした。

朝鮮戦争をはじめとして第二次世界大戦後の数々の休戦協定を議論・調印した会議場

朝鮮戦争をはじめとして第二次世界大戦後の数々の停戦協定を議論・調印した会議場

 昨日のジャントゥーに続いて、今回の新渡戸稲造の活躍した場を訪問することが出来て、何とも言えない感動を覚えました。と同時に、それ以降、日本人、或は日本国民の中で、彼を越える見識と教養を兼ね備えた真の「国際人」として、誰の名前を挙げられるでしょうか。今、まさに平成の新渡戸稲造はどこに、と言った気持で帰りの電車でしばし黙考でした。

スイス in 2014 (4)

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<新渡戸稲造・国際連盟事務次長時代の住宅 編 (その3)>

 私は最初に、今は「Frank Muller社(http://www.franckmuller-japan.com/」の工場と本社と書いたのですが、正確には、1986年、この付近にフランク・ミューラーが創作工房を造り、1995年にこのレザマンドリエに本拠を移したと、会社のHPの「Watchland(http://www.franckmuller-japan.com/#/brand/magazine02_1)」の中で説明があります。

* 「Watch land(http://www.franckmuller-japan.com/#/watchlandstory)」として広く世界に知られています。

 今回、広報担当のLaura Bondiさんは、3つの館内で作業する職人の工房を案内してくれました。大変ユニークな新型デザインも頻繁に発表しているとのこと。年に一回の発表展示会(WPHH)には、世界から人が集まってくるそうです。

Laura Bondiさんと中庭からレザマンドリエを背景に

Laura Bondiさんと中庭からレザマンドリエを背景に

世界見本市の会場としても有名

世界見本市の会場としても有名

 ブランド価値を大切にしているスイス機械式時計の世界的メーカーの工房・本社が、このレザマンドリエで拠を構えていることと、100年前に新渡戸稲造が国際連盟事務次長として国際社会の中で活躍していた姿とがシンクロナイズして、何とも胸が躍る訪問となりました。お会いした社員、職人の方々の笑顔の数々も素晴らしかったです。何かの機会に札幌の皆さんにも見学に行って頂きたい場所です!

スイス in 2014 (3)

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<新渡戸稲造・国際連盟事務次長時代の住宅 編 (その2)>

 現在は、スイス機会式時計メーカー「Frank Muller」社の工場本社として、400名の技術者等で活気を帯びていました。受付で、突然ではあったのですが見学の希望を伝えると、広報担当のLaura Bondi さんが満面の笑みでOK、ご案内してくれました。彼女は新渡戸稲造が1919年から8年間暮らしていたことはもちろん知っていて、この建物は1905年に、スイスの著名な建築家・エドモンファティオによって建造されたネオゴシック様式の城館「レザマンドリエ」で、初期の借り手が新渡戸稲造だったと、会社の記録にも記載されていると言っていました。

玄関正面のロビー

玄関正面のロビー

尖塔もそのままの姿

尖塔もそのままの姿

庭には大きな木、遠方にはレマン湖が望まれます

庭には大きな木、遠方にはレマン湖、さらに正面奥にはモンブラン

ブランドを大切にしてきたFrank Muller社に感謝の気持を持ちながら・・・

ブランドを大切にしてきたFrank Muller社に感謝の気持を持ちながら・・・

スイス in 2014 (2)

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 続いては、今回のメインテーマです、

<新渡戸稲造・国際連盟事務次長時代の住宅 編 (その1)>

 手掛かりは、昔の住所「クール・ドゥ・ジェントゥ16番地」、「借りていた一軒の庭付き住宅」等、限られたものでした。ただ、柴崎由紀さんのブログ(http://inazo-nitobe.blogspot.ch/search/label/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%96)では、かなり紹介はされていました。

 今回、私はジュネーブ駅から電車でローザンヌ方面へ5駅目「クリュ・デ・ジャントゥー」駅で下車、坂道を上った所にあるコミュニティーセンターで、「Frank Muller社(http://www.franckmuller-japan.com/」所有の工場本社の場所を伺うと、すぐに教えてくれました。歩くこと約5分、立派な別荘が続く通りの右手に、会社名を掲げた3階建ての邸宅が見えてきました。

ジュネーブ名物:レマン湖の大噴水

ジュネーブ名物:レマン湖の大噴水

ジュネーブからレマン湖畔を東に5つ目の駅:クリュ・デ・ジャントゥー(ベルソワ地区)

ジュネーブからレマン湖畔を東に5つ目の駅:クリュ・デ・ジャントゥー(ベルソワ地区)

駅からのこの坂道を上って約8分

駅からのこの坂道を上って約8分

新渡戸稲造が国際連盟次長時代、8年間住んだ住宅レザマンドリエは今も健在!

新渡戸稲造が国際連盟次長時代、8年間住んだ住宅レザマンドリエは今も健在!

高級スイス時計で有名な「Frank Muller」の工場本社として

スイス機械式時計で有名な「Frank Muller」社の工場本社として

スイス in 2014 (1)

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 幾つかのテーマを持ち込んでの海外編、今回はスイスです。

< 乗り物 アクセス編 >

 ヨーロッパの都市を訪問してまず最初に気づくのは、各種交通機関のアクセスとつなぎの良さではないでしょうか。

駅前広場、列車、自転車、路面電車が相互乗り入れ

駅前広場では、列車、自転車、路面電車が相互乗り入れ

電車のホーム、自転車、そして自動車駐車場がまさに一体化のバリアフリー

電車のホーム、自転車、そして自動車駐車場がまさに一体化のバリアフリー

自転車もきっちり市民権を得て

自転車もきっちり市民権を得て動線がスムーズ

バス、タクシー、自転車は同じレーンで

バス、タクシー、自転車は同じレーンで

自転車置き場も工夫を凝らして

自転車置き場もシンプルながら工夫を凝らして

 札幌を含めて、日本ではどうして「放置自転車」等、自転車が厄介物扱いなのか、これまで多くの方々が視察に来ているはずなのに、学びが全く足りません。これからのエコロジカルモビリティの理念には、自転車の活用がキーポイントだと思います。特に札幌のように都心が平らな都市ではですね。よく言われる冬も、本当に積雪で普通の人の走行が難しいのは半年ではなく、せいぜい3か月くらいではありませんか。

旧正月、「春節」 in 中国

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 北京在住の日本人、私のもう20年以上の友人から昨日メールが届きました。本人の承諾なしでここに一部をコピーします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~メールの一部コピー

 中国は、今日から旧正月で、北京市内は渋滞もなく、空気も「比較的」綺麗です。昨晩は、知人の中国人に招かれて、知人の家族と一緒に大晦日を過ごしました。中国では、31日の24時前に餃子をつくって、24時になったら餃子を食べる習慣があります。「年越そば」ではなく「年越餃子」ですね。1年でも最も寒い旧暦の12月8日に酢に漬けたニンニクが丁度大晦日に緑色になるように出来ていて、その酢漬けの緑色のニンニクと餃子を一緒に食べて、1年の健康を祈願します。

 旧正月の1週間前から食べる物や食べ方が伝統的に決まっていまして、元旦の今日はご主人の家族と一緒に食事、正月2日目は奥さんの家族と一緒に食事をするようです。そのために、北京に住んでいる人でも旧正月になったら、30時間以上列車の中で立ったままで絶対に帰省します。最近は、若い人達はこの機会に海外旅行へ行く人も増えていますが、それでも大晦日と元旦だけは親類の目もあるので実家にいるようです。

 アジアでは、気候も旧暦に合っているような気がします。旧正月のことを中国では「春節」と言いますが、冬と春を分けるという意味ですので、実際、春節を過ぎると春の陽気になります。やはり、アジア人の生活習慣、精神構造には旧暦が合っているような気がします。日本がアジアで孤立しつつあり、米国に後ろ盾を懇願している姿は、まさに、太陰暦(東アジア)からの逃避「脱亜」と太陽暦への憧れ「入欧」の象徴のような気がしましす。日本が太陰暦に戻ったら、アジア諸国と共有できるものがもっと見えてくるような気がします。

 昨晩、中国の知人から、年末の料理を食べながら、日本のことを色々と聞かれました。そこには靖国参拝も尖閣問題もありません。歴史認識がない日本の政治屋が右翼の支援者の顔色を伺いながら靖国を参し、その後で世界には通用しない「言い訳」を繰り返している姿が虚しく思えた大晦日の夜でした。・・・・・・・

年越餃子

年越餃子

緑色ニンニク

「緑色ニンニク」、ニンニクピクルスでしょうかね

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~メールコピー おわり

 この友人が言う「世界には通用しない『言い訳』」、安倍首相のダボス会議(末尾*参照)、NHK籾井会長の就任談話での発言(http://www.asahi.com/articles/ASG1T5J3XG1TUCVL005.html?ref=reca)等、立場のある者のその後に通用しない「言い訳」が続き、海外で地道に草の根の信頼を築いている多くの日本人の努力を踏みにじる、センスの悪さを越えた犯罪です、まさにみっともない、恥を知れ!ですね。

 
 以下に鋭いコメントが掲載されています。

* http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2014/01/post-621_1.php

・・・・・・「第一次大戦で甚大な被害を受けたヨーロッパのど真ん中」で、特に「その大戦を繰り返さないために国際連盟を設置したスイスという国」で、しかもその「国際連盟の常任理事国でありながら自身が脱退することで連盟を事実上潰して再度の世界大戦を戦うことになった」日本の、その「戦前の歴史の名誉回復」に熱心な首相が、「第一次大戦の100周年」というセンシティブな時期にこうした発言をするというのは、日本を「再度孤立化へ」向かわせる自爆行為だと言ってもおかしくないと思います。・・・・・

 
 昨晩の札幌、まだまだこれから冬本番です。

昨晩の札幌、さらに降り積もる雪、雪・・・

昨晩の札幌、さらに降り積もる雪、雪・・・